高知工科大学 2024
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KEYWORDCutting Edge 0108KUT WAY 2024データ&イノベーション学群人間色彩視覚研究室Tanner DeLawyer 講師【専門分野】 心理物理学、視覚心理学、行動神経科学 ヒトは、おもに五感と呼ばれる感覚器官から得る刺激(情報)によって、外界とつながっている。中でも視覚は知覚の中心的な役割を果たしており、ヒトが自分自身や周りの世界を正確に認識するために必要不可欠なものだ。視覚システムの研究は20世紀以降、着実に進歩してきた。しかし、まだ未解明の領域は多い。Tanner DeLawyer講師は、新たな発想に基づく実験により、ipRGCという網膜神経節細胞と、ipRGCがもつメラノプシンという光受容体(光を感知するための化学物質)の働きについて、先駆的な研究を進めている。 Tanner DeLawyer講師によれば、「網膜には視覚に関わる幾つかの細胞があります。錐体細胞は明るい光を検知する役割をもち、色覚を担当します。桿体細胞は暗い環境下でも働き、明るさの感じ方や輪郭の識別などを担当します。この2つの細胞は19世紀中期までに発見されました。一方、ipRGCが発見されたのは21世紀に入ってからのことです。米国のある研究グループがマウス実験で、従来の視覚細胞以外に、光に反応して脳に信号を送る細胞があることをつきとめました。これが後にipRGCとして知られるようになったのです」ipRGCは錐体細胞と桿体細胞によって処理された光の情報を受け取り、光に対する覚醒度の調節に関与する。また、メラノプシンが活性化されることで、ipRGCが作用して視神経に情報を送信し、脳が時刻調整や覚醒度の調整を行うことができる。 その後研究が進むにつれ、ipRGCが視覚システムにおいて重要な役割を果たしていることが次第に明らかになっていった。しかし、まだ未解明の領域は研究者たちの眼前に大きく広がっている。これまで、解明を難しくさせる理由のひとつと考えられてきたのは、ipRGCと他の視覚細胞の相互作用だった、とTanner DeLawyeripRGCは、intrinsically photosensitive retinal ganglion cellの略。日本語では「内因性光感受性網膜神経節細胞」と称される。この細胞は単体で光刺激に応答を示し、概日リズムや瞳孔の対光反射、明るさの知覚において重要な役割を担っていることが知られている。講師は言う。「ipRGCの働きをより正しく確かめるために、従来の実験では他の視覚細胞などの影響をできるだけ排除し、ipRGCを直接制御できるよう工夫した実験環境・スキームで実験が行われてきました。しかし私は、私たちが日常生活の中でモノを見るのに近づけた状態で、ipRGCとその中で働くメラノプシンがどのように変化するのか調べようと考えたのです」るとか、ね。先天的な網膜の障がいにより錐体細胞や桿体細胞をほとんどもたない人が、動くボールをキャッチできるという実例もあります。これにもipRGC内のメラノプシンが関係しているかも知れません」 では、そもそもなぜ、Tanner DeLawyer講師は敢えて“普通のモノの見え方”のメカニズムを追究しようと思うのか。「AI(人工知能)をさらに賢くするには、これまでよりもはるかに多くのデータを学習させる必要があります。画像認識に関して言えば、現在使われているRGBやHLSなどの色モデルに依拠した学習では、人間が眼から得ている情報のうちの一定部分しか取り込むことができません。視覚に関わるipRGCやメラノプシンの働きをさらに解明すれば、1枚の画像から何倍もの視覚データを取り出し、AIに学習させられるかも知れない。埋もれていたデータを掘り起こす、新しいデータを探す、そのことがひいてはデータイノベーションにつながると確信しています」ipRGC人間と同じように視覚情報を処理する能力をAIに与えたい Tanner DeLawyer講師の実験では円の左右に異なる色を置き、被験者にどちらがより明るいかを答えてもらう。被験者の眼球に入る光子量を一定に保ちながら、色相と輝度を変化させることで錐体細胞・桿体細胞を通して、ipRGCに働きかけ、メラノプシンの活性を調べる。ipRGCを直接制御するのではなく、より日常世界に近い環境で、つまり私たちが普通にモノを見る時のメラノプシン活性の推定に役立ちそうなデータを取るのが狙いだ。 実験の結果から、幾つかの興味深い推察が可能ではないかとTanner DeLawyer講師は考える。「少なくとも私たちの実験結果から見る限り、日常のモノを見るという行為では、ipRGC内のメラノプシンの影響はこれまでに考えられていたほど大きくはないと言えそうです。実はメラノプシンは、ipRGCや網膜など視覚系の細胞以外、たとえば脳下垂体前葉の細胞や皮膚のメラノサイトに存在します。たまたまipRGCに存在することになったメラノプシンが、進化の過程で視覚の手助けという役割を担うようになったのかも知れません。たとえば食べ物や敵を発見するといった、イザ!!という時に力を発揮す新発想の実験で視覚システムの解明に挑み、データサイエンスに新たな可能性を拓く光に反応する第三の視覚細胞、ipRGCの未知の役割を探る

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