新潟大学人文学部 CAMPUS GUIDE 2024
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 この文章に目をとめた方の中には、大学で歴史を学ぼうと思っておられる方もいるかもしれません。大学で学ぶ歴史学とはどんな学問か、私なりの理解をお示ししたいと思います。 ある辞書は「歴史」の説明の一つとして、「過去の人間生活に起こった事象の変遷・発展の経過。また、その、ある観点から秩序づけられた記述」と記しています(『日本国語大辞典』)。ここに記された通り、「歴史」には「過去の人間生活に起こった事象」やその「変遷・発展」という「あったこと」としての側面と、そうした事象に関する「ある観点から秩序づけられた記述」という「書かれたこと」、絵画や口承などを視野に入れればもう少し広く「認識されたこと」としての側面があるといえます。私たちは「あったこと」を直接知覚することは出来ないので、私たちが知る「歴史」とは、多くの場合「認識されたこと」になります。 では「認識されたこと」としての「歴史」は、どのように出来ているでしょうか。ある歴史家は、それは「過去の痕跡」を手がかりとして、そのあいだの「意味連関を言語を媒体として表現する」行為に基づくと説明しています(二宮宏之「歴史学の作法」『歴史を問う4 歴史はいかに書かれるか』)。 歴史学という学問を、上記の説明を参考に整理してみます。歴史学ではまず、既にある「認識されたこと」としての「歴史」が、いかなる「過去の痕跡」すなわち歴史資料に依拠しているか、そのあいだにいかなる「意味連関」が結ばれているか、十分に吟味し把握するトレーニングを行います。その上で、既知の「過去の痕跡」の理解を改めたり、新たな「過去の痕跡」を発見したり、それらの間の「意味連関」を再考したりして、「歴史」をいわば更新することを目指して研究します。抽象的な説明になりましたが、たとえば写真のような新発見の「過去の痕跡」に出会い、「歴史」を更新し得る感触をもつ時は実に嬉しいものです。未来の歴史学の担い手をお待ちしています。皆さんはどのように専攻分野を選んでいるでしょうか。私は大学に入ってから専門とする分野を選びました。私は何に興味があるのだろう、何を追究したいのだろうと考え、結果、社会学を選びましたが、それは大学1年生だった当時、「生き難さ」のようなものを感じ、その問題を考えたいと思ったからです。当時私が感じていた生き難さとは、人が自由に生きられないこと、自分を抑えつける何か力があることであり、その正体は社会ではないかと考えたのです。専門分野に進み、E.デュルケムという人の著書をまず手にとりました。その冒頭には次のような記載がありました。社会的なものとは次の二つの性格をもつ、すなわち個人に外在すること、そして個人を拘束すること・・・。私が感じていた生き難さの正体はやっぱり社会だった。人を外側から縛り付けて自由にさせてくれないものが社会なのだ。私の感覚は正しかったのだ、と思いました。学生時代にジェンダーや差別、それに関する人々の意識の問題を研究し、卒業後大学で働くようになりました。そしてさまざまな経験をへる中でふと気づきました。あれ?社会って人を拘束するだけじゃないんじゃない?逆に人を自由にしてくれるんじゃない?私は自分が一人でできる仕事なんてほんとに微々たるものだと痛感させられたのです。いつも周囲の人に助けられて仕事をしました。人々は私に多くの情報を与えてくれました。行き詰まった時には相談にのってくれました。調査の際には相手の方が快く協力してくれました。多くの人の協力のおかげで、私の行動の幅は大きく広がりました。つまり自由を獲得していたのです。社会とは不思議なものです。常に良い面と悪い面があります。それらの仕組みを研究するのは難しいことですが、生きる上で大切なことを教えてくれる学問だと思います。NAKAMURA MotoSUGIHARA Nahoko10中村元准教授杉原 名穂子准教授

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