新潟大学人文学部 CAMPUS GUIDE 2024
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ネット上で「かわいい土偶」「ハニワ女子」「古墳萌え」…といった文字を目にしました。縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪に安らぎを求めたり、古墳や戦国時代の城跡にロマンを感じたりする人が、近ごろ増えているそうです。たしかに、土偶や埴輪の表情には癒されますよね。どんなかたちにせよ、歴史に親しむのは、とても良いことだと思います。みなさんの中に、土偶や埴輪などを見て、思わず胸がときめいてしまう人がいたら、新潟大学で考古学を学んでみませんか。考古学と聞くと、王侯貴族の墓を発掘したら金銀財宝が見つかった…といったような大発見をイメージする人もいるでしょう。しかし、じっさいには、名もなき人々の住居や墓、または土器や石器の小さな破片が、考古学の研究対象です(ちなみに恐竜は違います)。それらを分析して得られた成果を積み重ねて、過去の人間の営みを復元するのが、私たち考古学者の仕事です。考古学では、みずからの知識と照らし合わせたり、他人や他の分野の成果を参考にしたりして、過去の人々のありさまに考えを巡らすことが重要になります。学問ですから、堅苦しい部分があるのも事実です。でも、前方後円墳を見て、なぜこんな形をしているのだろうとか、土偶を見て、何のために使ったのだろうと考えれば、それはもう、考古学に足を踏み入れたのと同じです。意外に身近で親しみやすい学問なのです。考古学において、土偶や古墳が好き…という気持ちはもちろん大切ですが、それ以上に必要なのは、考えることです。だから、「古(いにしえ)」を「考」えると書くのです。「好」古を「考」古へと変えることで、教科書に載っていない新しい歴史が見えてくるはずです。「かわいい」や「萌え」と違った心揺さぶる体験が、あなたを待っています。何かを前に手をあわせて祈りを捧げたことはありますか。はっきりと祈りとはいえなくとも何かを願う、思いを込める、ということはないでしょうか。宗教なんて信じないという人でも、社寺を訪れるとまわりにつられてなんとなく手をあわせたり、何か困ったことが起こったとき、その状況が改善するよう心のなかで助けを求めることも、ときにはあると思います。太古の時代から人は神、超越者という存在に対し祈り、儀礼を捧げてきました。それは、超越的存在から何か応答を求めているからだと考えられます。人間を越えたより大きな存在、超自然的存在者などとコミュニケーションをはかろうとしてきたのです。その際、神の像といった「もの」が作られ用いられてきたことに注目しています。たとえば1400年頃、現在のポーランドあたりで制作された聖母子像のなかに、マリアのおなかが開くものがあります(上記図版、パリ、クリュニー美術館蔵、高さ44.5cm)。体内にキリスト教の教義である三位一体が造形化されています。当時の資料によると、このような聖母子像は祝祭日ごとに開かれ用いられていたことがわかります。とくに受難節には像のなかの三位一体像から十字架上のキリストの部分が取り外され、信者たちはそれに口づけをして祈りを捧げていたようです。現在の私たちからすると、聖母さまのおなかを開けてのぞき込むなんて恐れ多いですが、中世の人たちはマリアの体内を開閉したり、なかの像を手に取って抱きしめたりしながら、神、またマリアに対し祈り、救いや平安を希求していたのです。そのような場合、これらの造形物は単なるものではなく、命が宿った生きたものととらえられていたのではないでしょうか。「もの」には何か目に見えない力がこもっているのではないか、それはなぜか、といったことを考えています。ヨーロッパの宗教芸術など歴史文化を中心として異文化の理解を深めていますが、それにより自身の文化も新しい視点で考える大切さを授業でも伝えてゆきたいと思っています。SHIRAISHINoriyukiHOSODA Ayako11白石 典之教授細田 あや子教授

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