新潟大学人文学部 CAMPUS GUIDE 2024
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日本語は私たちにとって最も身近な言葉です。それだけに何でも知っている気になり、裏付けのない感覚的な態度で向き合いがちです。例えば「全然」を肯定文で使う「全然大丈夫」という言い方。ある人は「これは言葉の乱れ。「全然」は否定文で使うべき」と非難し、ある人は「言葉は生きているから変わるのは当然」と擁護します。しかし、どちらの態度も支持できません。なぜなら、どちらも事実を正確に捉えていないからです。日常「全然」を肯定文で使う人も、おいしい料理を食べ終わった後、「ああ全然おいしかった」とは言わないでしょう。現実に定着している言い方を「乱れ」と切り捨てる場合はもちろん、「乱れ」に寛容な立場であっても、こうした興味深い事実を見逃してしまいます。 いわゆる「言葉の乱れ」は実は言語変化の一段階という場合があります。この言語変化の譬えとして「言葉は生きている」という表現はたしかに絶妙ですが、単に「生きている」というだけでは思考停止にすぎません。「言葉は生きている」というなら、もう一歩進め「〈どのように〉生きているのか」と問うべきです。つまり、その言い方があらわれる場合を正確に把握し、次に、そのようなあらわれ方をする理由を捉える必要があります。日本語学とは、このように事実を正確に把握、記述し、何故そうなっているのかを説明する学問です。 そして、記述と説明をすることは同時に、今まで見過ごしていた事実や、その事実を支える法則、体系を「発見」することでもあります。この「発見」は、「言葉の乱れ」のようないわば「変わり種」にばかりではなく、むしろごくありふれた言葉の中にこそたくさん潜んでいます。「雑草」という草がないように、レギュラー選手だけではチームは成立しないように、すべての語や文にはその存在理由があります。日本語のありのままの「生き様」を見つめることで、その存在理由の「発見」に立ち会えるところに、日本語学を学ぶ醍醐味があるのです。日本語学を学ぶ仲間たち日本語学を学ぶ仲間たち2001年1月、新大久保駅で線路に落ちた人を助けようと命を投げ出した韓国人留学生(李秀賢さん)がいました。翌2002年初夏の日韓共催FIFAワールドカップ。21世紀初めの日本と韓国は、距離的にも心理的にも「近くて近い国」になれそうでした。東西冷戦さなか(1978年)に駐新潟大韓民国総領事館が開設された新潟市は、かつて朝鮮民主主義人民共和国との交流もありました。新潟港から「在日朝鮮人帰国事業」で約9万3000名が、必ずしも生まれ故郷(韓国)ではない「祖国」へと旅立ちました(なぜでしょう)。南北統一が目的だった朝鮮戦争(1950.6.25〜1953.7.27休戦)はアメリカと中国の参戦で長期化し(ロシアとウクライナは?)、朝鮮半島の「分断」が固定化、1000万人とも言われる離散家族が生じました。韓国では1987年まで軍事独裁政権が続き、いまの香港やミャンマーのように、民主化を求めた多くの人が傷つき殺されました。1956年度『経済白書』で「もはや戦後ではない」と宣言した日本とは違いすぎる「戦中」の時間を今も生きている隣人隣国の文学作品が、人間にとって苦しく辛い事実から目をそらさず、そむけず、えぐり出し、描き出す筆致は、時として読むのが辛いほどです。たとえば、刻々と沈んでゆく船の乗客(修学旅行の高校生たち)を救えなかったセウォル号事件(2014.4.16)を経験した文芸評論家の言葉を紹介します。「私たちが本を読む理由のうちの一つは、私たちが知らないことがあるということを知るためである。(中略)だから一生の間にすべきことが一つあるとすれば、それは悲しみについて学ぶことではないか。他人の悲しみに「もううんざりだ」と言うのは残酷なことだ。」(シン・ヒョンチョル『目の眩んだ者たちの国家』)。「文学とは一時代の悪を、もう少し深い悪として把握できるようにしうる装置であり、どんな社会的現象も文学的検証なしには決して克服されないと信じている」(キム・ユンシク『私にとって日本とは何か』)。私が韓国(朝鮮)文学を読み続けたい理由のいくつかです。MITSUI MasatakaFUJIISHI Takayo16三ッ井 正孝准教授 藤石 貴代准教授

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