新潟大学人文学部 CAMPUS GUIDE 2024
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私は3年の後期に半年間、韓国の漢陽大学に留学しました。韓国語運用能力を高めるため、正規の授業を受けな私は3年のがら語学堂にも通いました。最初は先生の話をちゃんと聞き取れず、しんどい思いをしましたが、会話練習を重ねるうちにがら語学堂慣れました。毎日韓国語に囲まれて生活するので自分の成長を感じられました。私が大好きな韓国アイドルの大型広慣れました告や、誕生日に開催されるカフェを実際に見に行けるのも幸せでした。街を歩くだけで韓国語を勉強するモチベーショ告や、誕生ンが上がりました。たまに「日本の方ですか?」と日本語で声をかけてくれる店員さんがいて、日本語で話しかけてくれたことンが上がりも嬉しかったし、日本語と韓国語でアニメの話をして楽しかったのが記憶に残っています。いまは翻訳機も発達していまも嬉しかっすが、自分で考えて自分の言葉で話すことの大切さを実感しました。新型肺炎に感染したことを含め、私にとって留学すが、自分は、精神的にも語学力の面でも成長させてくれたかけがえのない経験です。は、精神的私は3年次の後期から約9か月間、アメリカのロードアイランド大学に交換留学をしました。高校生の時から留学を私は3年次して異文化して異文化に触れてみたいという夢を描いていましたが、コロナ禍もあってなかなか海外への渡航が難しい状況が続き、3年生になってやっとその夢が叶いました。大学があるロードアイランド州は、アメリカの全州の中でも最も小さ続き、3年く、綺麗な海に囲まれた、美しく落ち着いた所です。ボストンやニューヨークに近く、それぞれ電車で気軽に行くことがく、綺麗なできるので、週末や長期休みを使って遊びに行ったりしていました。平日は授業や課題で忙しい生活を送っていまできるのでしたが、一緒に住んでいる国際寮の仲間たちと一緒に食事をしたり、映画を見たりする時間が日々の励みになってしたが、一いました。大学では現地の学生と同じ正規科目の授業を受けていたため、最初はついていくことに精一杯でしたいました。大が、自分で決めた目標に挑戦し、それをやり遂げられたことは今の自信に繋がっていると感じています。が、自分で4年生の時の交換留学でフランス語の環境に浸かって、いろいろな新しい知識を得たほか、おいしい食べ4年生の物もさまざ物もさまざま知ることができました。大学のキャンパスの中の寮での学生生活も穏やかで楽しく過ごせました。フランス人向けの日本語ボランティアとして大学の日本語の授業にも参加できましたが、むしろ、自分が日本語をランス人向再び勉強することができたと思います。また、毎週月曜日に大学であったダンス教室もとても愉快でした。留学再び勉強前、新潟大学人文学部でフランス語とフランス文学を勉強するときに目にしたフランスの風景に、じっさい出前、新潟会ったときは、ほんとうに頭がくらくらするほど感動しました。さらには、ボルドー・モンテーニュ大学では、世界中会ったときから来た人々と出会って、それぞれの人生経験を聞いて、自分の世界はより一層広がりました。皆さんも、自から来た分が学んだ言葉を実際に使いたい、その言葉が生まれた国を見に行きたいと思ったら、ぜひ行ってみてくだ分が学んさい。さい。令和元年、私は新潟の漫画家さんから「新潟大学に来てみませんか?」と言われて、韓国から新潟大学に入学しました。深く悩まずに決めた入学でしたが、私の大学生活はあまり順調ではありませんでした。日本語が難しすぎて授業の感想を書くのに何時間もかかり、コロナ禍で2年間オンライン講義だけに参加してきました。それにもかかわらず新大の学生になってからの毎日が幸せでした。思い切り勉強して活動すれば、機会が得られるからです。多様な分野に触れられる人文学部のカリキュラムと大学の副専攻プログラムを通じて、私はメディア・言語・データの関係について考察することができました。素晴らしい先生方は私の質問に熱心に答えてくださり、教員の方々はいつも私に配慮してくれます。また、明るく元気のある友達と一緒にサークル活動をすると前向きな気持ちが溢れてきます。このような環境の中で目を覚ましたある日の朝、私を歓迎したのは綺麗な空気とスズメの鳴き声、そして自ら成長したという感覚でした。今後どのような事が私を待っているかは分かりません。しかし、ここなら何でもできると信じながら、残りの1年間新大での生活を満喫し、新潟の美しい花火も見に行きたいと思います。赤木 美祐希朝鮮文学4年佐藤 はな英米言語文化4年ゼン・カオンフランス言語文化卒業・現代社会文化研究科在学中チョ・ユンビン言語学4年22

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