東工大ハンドブック
20/24

日本のものつくりを支えて135年東京職工学校は、明治政府による制下での最初の工業教育機関でありました。校名に含まれる〝職工〟は当時、現場の実践的技術者を称した言葉で、高等技術者を意味していました。工業を興すための 高等技術者。それが「職工」1868年に来日し、日本の近代化のために貢献した政府お抱え外国人の一人がG.ワグネルです。東京工業大学の前身、東京職工学校の創設もワグネルの文部省(当時)への提言から始まりました。明治政府に招聘された技術者、G.ワグネル手島精一は工業教育の手法に関する豊富な知識と西洋諸国から持ち帰った広い視野で、優れたエンジニアの育成を目的とした東京職工学校の設立に貢献しました。「工業教育の父」手島精一の功績東工大卒業生の高柳健次郎は、1926年に世界で初めて受像装置のブラウン管式テレビに安定した画像「イ」を映し出すことに成功しました。その後テレビは目覚しい発展を遂げ、現在のデジタルハイビジョン液晶テレビやTV電話まで、高柳の電送・受像の技術は生きています。テレビの発明・実用化を成した東工大卒業生東京職工学校が設立東京高等工業学校へ改称高柳健次郎が世界で初めてブラウン管による電送と受像に成功東京工業大学(旧制)へ昇格古賀逸策が水晶振動子を発明19321929192619011881LOOK!Rts東京職工学校末期の校舎全景(明治33年 1900年頃)18

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 20

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です