宇都宮大学広報誌 UUnow 第41号
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大学1年生の夏休みに時間があったのでいろいろと小説を読んでいましたが、ロシア文学が一番おもしろいと思ったのです。主にドストエフスキーなど19世紀の文学ですが、やはり日本では人気があり、訳書もたくさん出版されていて、まとめて読むことができましたので、専門はこれでいこうと決めました。それからロシア語を勉強し始めて、3年生からロシア文学の専門課程に進みましたが、2年間はかなり厳しくみっちりとやりましたね。研究室は「スラヴ語スラヴ文学研究室」に入りました。ロシア文学が基本ですが、バレエや音楽などの文化関係も学びました。研究室に行けば事典類や新しい本があって、図書館に行けばまた別な専門書があってというふうに、大学は関心を広げていく環境が整っていたと思います。ロシアには大学院1年生の時に初めて行きました。ソ連が崩壊して、ロシア連邦に変わって7、8年くらい経った混乱期でした。国の過渡期だったことがすごく印象に残っています。まだソ連時代の名残というか、文化的にも色濃い影響があって、社会主義国独特の特徴というのがありました。買い物ひとつにしても日本と異なり、お店の人は誰にでも無愛想でおつりは投げて返しますので、日々の生活でカルチャーギャップを感じたものです。その後ロシアには何度か行きましたが、今は生活に関わるさまざまなシステムが変わり、経済も大きく変わっています。国11●UUnow第41号 2016.11.20たら当時の人たちが気づいていなかったようなところまでわかるかもしれません。文学、文化研究は方法も自由なので、どのようにアプローチすると良いのかを考えるのも楽しいです。■「香水」文学は、作品だけ読んでいてもわからないことが多いのですが、関係する時代の歴史や社会背景などを勉強するほどにおもしろく読めるようになります。その意味で文学は複合的な性格を持っており、文学から出発して、関連する文化の研究に進む方は多いです。香水の研究もその一つです。研究するなかで、ロシアの19世紀の都市文化が非常に洗練されていたことがわかり、その一つが香水でした。19世紀後半から20世紀初頭までロシアにあった大規模な香水産業が再発見されたのは近年のことです。ソビエト時代に、歴史は記憶しておくべきものと忘却の闇に葬られたものに分かれました。現在は、忘れられた歴史の再発見がロシア研究の領域では活発化していて、香水はその一端をなしています。19世紀末ごろには、ロシアにはヨーロッパ最大の工場を持つ香水会社があり、それに連なる大会社が10社ほど存在し、中小の香水会社を入れると200を超える製造所がありました。当時の先端的な技術を駆使して優れた香水が作られていました。1917年のロシア革命でこれらの会社は国有化され、香水産業は事実上一挙に瓦解しました。大勢いた従業員や調香師(香水を作る技術者)はどうなったのでしょうか。ロシアに残る人、亡命する人など、彼らの運命は大きく分かれました。ロシアの最大級の香水会社であったラレ社の主任調香師をしていたエルネスト・ボーという人物は、フランスに移住して、「シャネルナンバー5」という有名な香水を作り、現代の香水に大きな影響を与えました。帝政ロシアの文化は、革命で生み出された200万人とも言われる亡命者を通じて世界中に接ぎ木されました。香水の歴史は、こうした問題とも繋がっています。このほかにも香水や香りの人文学的領域での研究も行いました。香りの世界は奥が深く、まだまだ研究すべきことは残っています。今後も研究を続けていきたいと思います。混乱期のロシアに留学しての過度期のような時にも行ってみるものだなと後で思いましたね。 ロシアでは大学院生のレベルがすごく高く、ロシア文学を勉強するのにも、文学史一冊丸ごと覚えているかどうか、細かいデータまで覚えているかどうかというレベルで、基本的な勉強の仕方の違いも含めて私にはとても良い体験になりました。短期ではありましたが、留学を経て得た経験や認識は大きかったと思います。学術のあり方というのも、同じロシア文学でも、国によって伝統、文化が違うので、勉強のシステムもカリキュラムも違う、そういうギャップを承知した上で研究者として育っていく必要があると思いました。博士論文を書いた後、次に何をしようかと思っていた時に、手にとった綺麗な写真集で「シャネルN゜5」の香水を作った調香師が、ロシア出身のフランス人であったことを知りました。調べはじめたらとても面白くてこれは価値があるなと思い研究していくと、関心がますます広がっていきました。宇大に着任してから6年目、おかげさまで昨年出版した著書『シャネルN゜5の謎―帝政ロシアの調香師』(群像社)で「2016年度日本ロシア文学会賞」をいただきました。大野 斉子(取材・文/アートセンターサカモト・栃木文化社ビオス編集室)ロシア語の先生(左)と、サンクトペテルブルクでエルネスト・ボー(1881ー1961年)

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