宇都宮大学広報誌 UUnow 第41号
2/16

UUnow第41号 2016.11.20●2■人との繋がりから多くを学んだ大学時代白井さんは北海道札幌出身。ご実家は商売をされていたとのこと。なぜ宇大に入学されたのですか?「いつかは家業を継ぐことになるわけで、それなら一度北海道を出て外の空気を吸いたかったし、いろいろなことを見て、経験してから北海道に戻ろうという思いがありましたね。海の近くで育ったし今度は山の近くもいいかなと(笑)。やはり宇大に縁があったのかな」工学部を選んだのはなぜですか?「暗記するのはあまり得意じゃなかったんです(笑)。数学とか物理とか、理系の科目に関心がありました。環境化学(現応用化学科)を選んだ理由は、当時公害問題に関心があり、そういったことを勉強して社会の役に立ちたいという一種の正義感のような思いが一つの理由かと思います」大学時代影響を受けた先生や印象に残る授業などはありましたか?「勉強はそれほど真面目にしませんでしたが(笑)、当時在籍していた研究室の先生は濱島求女はましま もとめ先生(故人)という先生で、その濱島先生と助手の先生には本当にお世話になりました。実はその助手の先生は、現在わが母校の教授として大活躍されていますよ。(※現工学研究科木村隆夫教授)卒業研究の時期は、やはり理系なので研究室にこもりきりで実験に没頭していました。長時間にわたり、終了が夜中や早朝になることもありましたね」サークルは軟式野球と探鳥会に所属されていました。アルバイトは家庭教師から引っ越し、飲食店、雀荘のスタッフなど、今の白井さんからは想像もつかないような様々な職種を経験されたようですね。「本当に古き良き時代でしたね。先輩後輩やアルバイト先で出会った人たちとの交流が私の財産です。いろいろな人と話をして、ふだんできないようなことを経験したことが、今、役に立っている。人と人との繋がりから多くのことを学びました」■「がむしゃらに働き」仕事を通して成長した今から40年ほど前、倉庫係からスタートし、20代で店長になられたとか?「『日本一を目指す』。創業者似鳥昭雄氏から聞いたこの言葉が、ニトリ入社の決め手となりました。入社した当時のニトリはまだ『ニトリ家具』と名乗っており、今では考えられないほど小さな会社でした。入社当時はともかくがむしゃらに働いていました。おかげさまで20代で店長に昇格させていただきました。仕事が本飽くなき「挑戦」が  人も企業も成長させるPROFILE北海道出身。1979年宇都宮大学工学部環境化学科(現 応用化学科)卒業。同年㈱ニトリへ入社し、89年物流部ゼネラルマネジャー就任。店舗運営部ゼネラルマネジャー、組織開発室長を経て、2001年取締役へ。04年常務取締役、10年㈱ニトリホールディングス発足と同時に、取締役専務執行役員就任。同年㈱ニトリ取締役専務執行役員、14年㈱ニトリホールディングス代表取締役副社長および㈱ニトリ代表取締役社長就任。16年㈱ニトリホールディングス代表取締役社長就任へ株式会社株式会社ニトリニトリホールディングスホールディングス代表取締役社長代表取締役社長 OB.OG. INTERVIEWOB.OG. INTERVIEWToshiyuki SHIRAI白井 俊之白井社長に取材するインタビュアー岡田さん(右)と大森さん株式会社ニトリホールディングス代表取締役社長、白井俊之さん。グループ全体の従業員3万人、取引先は4000社以上。株式時価総額が1兆5千億円を超える大組織を先頭に立って牽引するリーダーです。学生インタビュアーに対し若手世代への思いを真摯に語るその姿に、改革をグループの先頭に立って進めていく経営者としての姿が垣間見えます。また本学OBとして在学当時の思い出話をにこやかに話していただき、白井社長が本学同窓生の一員として非常に身近に感じられる場面もありました。その他、ニトリ入社から現在に至るまでのエピソードなど、話題は多岐にわたり非常に実り多いインタビューとなりました。【インタビュアー/工学部応用化学科4年・岡田愛未羽、地域デザイン科学部コミュニティデザイン学科1年・大森悠司 】

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 2

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です