宇都宮大学広報誌 UUnow 第43号
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UUnow第43号 2017.7.20●2■部活にバイトに研究に、アクティブに過ごした宇大での青春時代―遠藤さんは宇都宮のご出身だと伺っています。なぜ宇大に入学したのですか?高校時代、あんまり成績良くなかったんです(笑)。部活を一生懸命やるわけでもない、勉強を一生懸命やるわけでもない、平凡な高校生でした。ただ小さいころから模型を作るのは好きで、ものづくりに対する漠然としたあこがれはありました。それで進路としては理系を選択し、理系の中でも特に潰しがきくということで工学部機械工学科を検討しました。そして工学部の中でも、学力と地理的な条件がぴったりな宇都宮大学に進学しました(笑)。―大学時代の部活動など、当時の印象に残る思い出を聞かせてくださいバスケットボール部に所属していました。3年の時にマネージャーとして大学対抗の大会の開催、運営を仕切ったことがとてもいい経験になりました。いわゆる庶務的なお世話係だったのですが、こういった経験が今、仕事や生活などいろいろな所で役に立っています。特に思い出深いのは、大学1年の時にアルバイトでためたお金で自転車を買い、2年の夏休みに宇都宮から能登半島まで往復1500km、24日間の旅をしたことです。一日の予算4千円の貧乏旅行です(笑)。かなりハードな行程でしたが、本当にいい思い出です。帰ってから夏休みの宿題の実験レポートを書くのに苦労したけど(笑)。1週間、ほとんど徹夜状態でレポートを書きました。―研究にまつわるエピソードや、お世話になった先生について教えてください研究室は熱工学研究室。直接私がお世話になったのは秋山光庸先生でした(2002年退官)。秋山先生の研究室で学ぶことになったのは、コンピューター、情報処理に興味を持ったことがきっかけだったんです。自分が大学生だったころは、今のようなパソコンはなく、プリント基板に7セグメントの表示器と10キーがのっただけのワンボードマイコンしかありませんでした。たまたまバスケ部の先輩がそれを持っているのを見て感動し、情報処理にのめり込むきっかけになりました。2年の時にプログラミングの授業を受けたのですが、3年になってさらに深く学びたいと思い、いろいろ情報を集めてみると、秋山先生がコンピューター解析をやっていることがわかりました。秋山先生はかなり?個性的な先生とのうわさでしたが、虎穴に入らずんば虎子を得ずの意気込みで、研究室のドアをノックしました。そのまま熱工学研究室に入り、大学院終了までお世話になったわけです。研究のテーマは流体の数値解析。当時スーパーコンピューターが出てきた時代で、東大や日本原子力研究所まで出向いて、スーパーコンピューターを使わせてもらいました。とても恵まれた環境にあったと思います。しかし、膨大な量の計算結果をどのようにして論文用の資料と失敗失敗をを恐恐れずれず挑戦挑戦するする姿勢姿勢がが未来未来をを切切りり開開くく2016年、工作機械や産業用ロボットの頭脳となるコンピュータ数値制御装置の世界シェアトップ、産業用ロボットの国内シェアトップを誇る世界的企業「ファナック株式会社」の栃木県壬生工場が稼働し、栃木県のロボット関連産業の振興に期待が集まっています。この壬生工場建設プロジェクトの責任者として手腕を発揮したのが本学OBの遠藤裕一さん。遠藤さんの母校でロボット工学を学ぶ後輩たちが壬生工場を訪ね話を伺いました。インタビューは工学部時代の思い出から様々な仕事に関するエピソード、こぼれ話まで盛り沢山な内容となり、笑顔が絶えない大変楽しい取材となりました。(写真:左から工学研究科博士後期課程システム創成工学専攻1年 柿木 泰成/工学研究科博士前期課程機械知能工学専攻1年 市川 怜志/遠藤 裕一氏/同社員の本学OB松田 大樹さん/工学部機械システム工学科4年 和地 秀宗/工学部機械システム工学科4年 住吉 丈一郎)PROFILE栃木県生まれ。1983年3月宇都宮大学工学部機械工学科卒業。1985年3月同大学院工学研究科機械工学専攻修了。同年ファナック株式会社に入社。商品開発研究所に配属となり主にロボット用サーボモータの開発を担当。1992年課長、2000年部長。2001年研究開発部門から製造部門(工場)へ異動になり、サーボモータ製造部長。2015年サーボモータ生産技術部長、栃木県壬生工場建設プロジェクトにかかわる。同年執行役員。2016年サーボモータ製造本部長。現在は主に壬生工場に勤務。    ファナック株式会社ファナック株式会社執行役員執行役員OB.OG. INTERVIEWOB.OG. INTERVIEWYuichi ENDO遠藤 裕一自転車で旅をした学生時代の遠藤氏

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