愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
25/96

卒業生・教職員からの寄稿日置 雅子 元外国語学部ヨーロッパ学科ドイツ語圏専攻 教授 「進むも地獄、留まるも地獄!」、愛知県立大学の移転拡充計画が視野に入ってきた頃、既に首都圏の大学で郊外移転を果たした大学の中には、「失敗だったのでは?」というつぶやきが聞こえていた。移転の土地である長久手校地は、人里離れた東部丘陵地帯に位置する半ば山の中である。一方、狭逸な旧高田町校舎では、1学科の増設も不可能という状態であった。ならば、「いずれも地獄なら、前に進もう!」とばかりに、移転計画は本格化した。高島学生部次長と共に、私が学生部長としてその任にあたったのは、平成9年度から10年度(1997-98年度)、旧高田町校舎の最後の年と新長久手キャンパスの最初の年であって、いわば県大版「疾風怒涛」の2年間であったと言えよう。 当時の旧学生部の仕事は、学生の入学から卒業に至るまで、教育と教務関係以外のほぼすべての学生生活万般を管掌していた。4月の入学式、夏のオープン・キャンパス、秋の大学祭、1・2月の入試と3月の卒業式、これが学生部の5大イベントである。中でも、学内外に対して最も神経を使うのは入試であり、それは今でも変わりはない。そして、私の最も強い思い出に残るのも、平成9年度の辛苦を極めた入試である。 この年の大学入試センター試験や文学部と外国語学部の入試は、学生部の従来のノウハウで粛々と進められた。問題は、新設の「情報科学部」の入試である。新設学部には志願者が殺到するが、本学も例外ではなく、倍率は36倍の余に達した。当然、狭い高田町校舎に何千人もの受験生を受け入れるキャパはなく、名古屋市の総合アリーナを借りて行うことになった。加えて試験問題も、センター入試を利用することはできないので、すべて自前の試験問題を用意しなければならない。これだけでも、それまで経験したことのない入試の実施である。その準備のために、学生部の担当職員は夜を徹して働いた。皆カリカリ、ピリピリして、学生部長ですらうかつに声をかけられないほどであった。夜ともなれば、部屋はタバコで紫煙たなびく始末、女性職員がいくら「禁煙」のビラを貼っても、効果なしであった。 吉田課長補佐による陣頭指揮の下、学生部職員が必至で準備しているさなかにも、教員や他の部署の職員は長久手への引っ越し準備に余念がなく、2月も末になると、とうとう学生部だけが取り残されてしまった。がらんとした校舎に、学生部の明かりだけが灯る風情は何ともわびしいものであるが、そんな感傷にふける余裕もなく、職員はただひたすら3月の入試に向けて全力を上げてくれた。 そして、いよいよ新学部入試の当日がやってきた。広いアリーナに整然と並べられた机につく沈黙の受験生、それを2階から見下ろしながら監督・指示するわれわれ執行部。はらはらしながら見守る中で、試験は順番に粛々と進行し、あと残すは理科の試験。と最後に来たところで、パラパラと問題ミスが発生!やはり避けられなかったか。無念の思いはあったが、ただ、採点に影響するミスではなかったことが、不幸中の幸いであった。 入試もすべて無事に終えた3月末、整理する暇もなく、学生部の引っ越しが一気に行われた。明けて新年度の4月1日、今度は入学式の準備が目前に迫っていた。式そのものは手慣れたものとはいえ、入試業務で新キャンパスの説明会に出られなかった学生部にとって、キャンパス内の建物配置や動線はもとより、最新の照明・音響装置が設備された講堂を動かすのもひと苦労であった。 入学式は爽やかな好天に恵まれ、新入生たちの顔は、真新しいキャンパスの中でいずれも、いつにも増して晴れやかであった。学生たちの通学は、名鉄バスをチャーターした直行バスであったが、乗りこぼれや渋滞に巻き込まれるなど難渋を極めたものの、とにもかくにも新天地での生活はスタートしたのである。ただ、移転当初、学生部長室の設えが全くなされていなかったのには唖然とした。あるのは学生部長の机と高田町から持ち込んだ古びた書類棚一本、そしてむき出しの白い洗面器、応接セットはおろか、次長の机すらない! 聞いてみれば、学生部から何の要望もなかったからと言う。確かに、入試の準備作業に追いまくられて、そこまで気が回らなかったことは確かであるが、それにしてもと愕然とさせられた。 また、新しい校舎であるためか、庶務方から「汚すな、壊すな、ビラは貼るな!」とのお達し、学生との間に立って、何度走りまわらされたことか。同じようなことが、大学祭の時にも生じた。学生実行委員会から、「花火を上げたいが、許してもらえない!」との陳情。あの狭い高田町で認められていたのに、なぜこの広い長久手キャンパスで? この交渉にも、かなりの時間がかかった。まだまだ数え上げればきりがないが、全体として、新キャンパスでのことは、楽しい思い出の方が多い。 先年、県庁に赴く用があって出かけたところ、当時の学生部の職員にばったり。彼が急遽声をかけてくれて、数人の元職員が集まってくれた。なつかしい顔ぶれである。よもやま話の中で、やはり強烈な思い出はあの情報科学部の入試である。皆の元気そうな顔を見ながら、私は思った。あの学生部の時代は、この人たちの「怒涛の青春」であった!と。23新学部入試と怒涛の学生部

元のページ  ../index.html#25

このブックを見る