卒業生・教職員からの寄稿小栗 宏次 情報科学部情報科学科 教員 愛知県立大学長久手移転20周年・新大学発足10周年に際し、関係各位に心からの敬意と尊敬の念を表します。気付いて見れば情報科学部の中で、その設立準備の様子を知る数少ない現役教員の1人となり、設立の苦労からの思い出を辿りつつ、こうして記念誌に寄稿させていただける事を誇らしくもあり、懐かしく感じています。県立大学への着任 1994年(平成6年)10月1日、私は学長直属(情報科学部設立準備担当)教員として愛知県立大学に着任しました。当時の愛知県立大学は、文学部と外国語学部、外国語学部第二部の3学部からなる文系大学でした。着任早々、私の研究室として案内された部屋は、机1つがやっと置ける広さで、前任校(名古屋工業大学)の研究室と比べあまりに狭いのに驚いたのを今でも覚えています。部屋にはコンセントが1つしかなく、電気容量が足らない上、エアコンも無かったため、研究用のワークステーションが熱暴走でダウンすることもしばしばでした。そこで、翌年には、キャンパスの片隅にプレハブの研究室を作っていただきました。そこは電気容量も十分でエアコンも設置されたものでした。 大学では情報科学部設立に向けた文部科学省に提出する資料作成の準備作業が主たる仕事で、毎日、全国の大学の情報系学部の分析や愛知県の産業構造の分析を行い、それらをわかりやすい資料にまとめるなどしていました。講義では、情報リテラシ科目を担当し、コンピュータ演習室でワープロや表計算などを教えていました。調整委員として 高度成長期、「ものづくり」王国として順調な発展を遂げてきた愛知県では、平成に入り「愛知県芸術文化センター」「あいち健康プラザ」とビッグプロジェクトを次々に展開していました。その1つが愛知県立大学の長久手移転でした。東部丘陵地に「科学技術交流センター(後の知の拠点あいち)」や企業の研究所などを誘致し研究学園都市を開発しようというものでした。 こうした中で、毎月のように行われる愛知県の担当部局との打ち合わせや、学内の他学部の教員との打ち合わせへの準備が私の主な仕事でした。これらを担当する教員は「調整委員」と呼ばれ、各学部から1名ずつが指名され、毎日のように大学で情報交換をしていました。 今では店の名前を忘れてしまいましたが、瑞穂区高田町の大学キャンパスの正門前に料理屋があり、大学での打ち合わせが終わった後、今度はその料理屋で遅くまで議論を交わした事を覚えています。学科名をどうするか その後、愛知県との調整が進むと今度は文部科学省との調整が始まりました。多くの資料を風呂敷に包み、新幹線で文部科学省に行き、新学部の設置理由など書類のチェックを受けるのです。少し早めに行き、新橋の中華料理屋でランチをしながら作戦会議を行い意気揚々と文部科学省に行くのですが、毎回多くの宿題をもらい、帰りの足取りは重かったのを覚えています。その中で学科名をどうするかという議論に多くの時間を要しました。当時の情報系学部では「環境情報」という言葉がよく使われていました。本学でも、当初「環境情報学科」の設置が検討されていました。しかし、文部科学省から「地域の公立大学」としての役割を強く問われ、その結果として「地域情報」という名前が浮上しました。その後、全国で「地域情報」という言葉が良く使われるようになりました。県立大学情報科学部の誕生 1997年(平成9年)新設の大学としてセンター試験に参加する事なく独自の入学試験を実施しました。このため応募者多数となり、名古屋市総合体育館(レインボーホール)(当時)を利用して実施しました。広い体育館に机が並べられ、2階席から望遠鏡を利用して試験監督をしました。そして1998年(平成10年)春、長久手キャンパスにて新入生を迎えることが出来た時は感無量でした。感謝の意を込めて 情報科学部はこれまでに6名の学部長のリーダーシップのもと関係教員の努力により支えられてきました。初代学部長(H10-H15) 半田暢彦先生(H20逝去)第2代(H16-H18) 稲垣康善先生第3代(H19-H21) 井手口哲夫先生(2年任期、1年再任可)第4代(H22-H23) 渡邉教博先生第5代(H24-H25) 井手口哲夫先生(病気のため、残任期間を村上先生に。 H27逝去)第6代(H25) 村上和人先生 (残任期間)第7代(H26-H27) 村上和人先生第8代(H28-H29) 村上和人先生(新制度、経過措置、1年任期)第9代(H30-R2) 神山斉己先生(新制度、3年任期) 特に、設立時の様々な困難に対処された半田先生におかれましては、学部運営で多忙な打ち合わせの中、いつ研究室をお訪ねしても手元には最新の英語論文が置かれており、「今でも毎日1本は論文を読んでいる」と言っておられた姿を昨日のように思い出します。 こうした先生方のご尽力に感謝しつつ、現在の情報科学部の先生方と力を合わせ、令和の時代に即した情報科学部を構築していきたいと願っています。29情報科学部設立の思い出
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