愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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卒業生・教職員からの寄稿伊藤 正英 情報科学部情報科学科 教員(情報科学研究科博士後期課程 単位取得退学) 17年目。県大の教員になって今年8年目ですが、学生として過ごしたときを加えると、県大でお世話になった年月はこのような数字になりました。 私が県大に入学したのは、長久手キャンパス移転の年であり、情報科学部スタートの年である、1998年(平成10年)でした。1期生の入試は特殊だったため、旧・レインボーホール(現・日本ガイシホール)で実施され、旧・高田キャンパスを訪ねたのは合格発表のときのみでした。いま思えば学部1年生のときは大変贅沢な体制でした。教員1人に対して学生3名。いまでも1学年あたりは同じですが、1学年しかなかったので文字通りの少人数教育でした。当時の先生方には、懇親会、芋煮会、ソフトボール大会など、様々なイベントを開催していただき、学生同士だけでなく、学生と教員が交流する機会が多くありました。そのときは比較するものがありませんでしたが、学生と教員との距離は本当に近かったと思います。いまではあり得ないことですが、知識も技術もない学生に研究協力者というアルバイト(とはいっても実質は情報科学に関する勉強・実習)の機会をいただいたこともありました。また、新しい学部の1年生ということからか、授業や全学イベントを通じて、他学部の先生方と交流する機会にも恵まれました。 1期生には、実は情報科学以外に興味があったけどここに来た、という人が多かったように思います。私もそのなかの1人でした。いろいろなきっかけから徐々に情報科学に興味を持つようになりましたが、当初、たとえばプログラミングは苦手なだけでなく、その利便性を微塵も感じることができませんでした。1期生として受けた授業では、様々な試練(や事件?)がありました。学生にとっても教員にとっても事前情報(過去問や学生の実力想定)なしでしたので、そうしたことが起こりやすい状況だったかもしれません。ある授業では、受講生のほとんどが内容を消化できず、先生はそれに気づかない(?)という状態のまま経過しました。結局、期末試験で誰も合格点に達しないという結果に…(その後、再試験で一部は救われました)。別の演習型授業は、3限に開始してすべての課題をクリアしたグループから解散という形式でした。正規には4限終了でしたが、5限でも終わらず、6限でも終わらず、ついには10限(?)相当までかかる事態に。バス・電車通学していた学生は、車通学していた友人に分散便乗させてもらってどうにか帰宅したものの、翌日2限の授業に皆遅刻するというおまけつきでした。当時は大変でしたが、振り返ってみれば貴重な経験であり、よい思い出です。 学部3年まで、バレーボール部で活動していました。きっかけは2年生以上の他学部先輩との出会いでした。バレーは中学1年に部活動としてはじめ、高校3年間も続けましたが、当初、大学で継続するつもりはありませんでした。しかし、サークルの新入生勧誘で「コレだ」と感じるものがなく、次第にバレーのサークルや部活にしようかと思いはじめました。そんな折り、学食で友人と歓談していたところ、偶然近くにいた先輩達の会話からバレー部の話題が聞こえてきました。話しかけてみると、いま女子バレー部しか活動していないが、男子バレー部にいた先輩が留学から戻ったところとの話でした。復学した先輩とともに、女子バレー部の練習に混ぜてもらう形でバレーを再開しました。やがて情報科学部で興味をもってくれた友人が参加するようになり、男子バレー部は復活するに至ります。その後、先輩を通じて旧・高田キャンパス時代のOB・OGと交流したり、他大学チームと練習試合したりするなど、学部、学年だけでなく卒業生や学外まで、縦横のつながりは急速に拡がっていきました。最終的に公式大会のリーグ戦にも参加でき、楽しく充実した課外活動でした。 学部4年以降は、戸田尚宏先生の研究室に所属し、研究が生活の中心となっていきました。研究室を選ぶ際は、お二人の先生でかなり迷いました。研究テーマや人柄では決めきれず、最終的に指導の継続性で判断しました。学部3年後半の進路選択で大学院進学を決意しており、もう一人の先生には定年がせまっていたためです。戸田研究室で行った研究テーマは「制御」に関するものでした。戸田先生の本来のご専門ではなく、私の興味にあわせて設定していただいたものでした。のちに、私が戸田先生に「制御」(!)されていたことを知ることになりますが、自分が学生の研究を指導する立場になって、真似できない、挑戦的な指導形態だったととらえています。当時、指導教員の専門でない研究テーマを進めることに、私はときどき不安を感じていました。そんな私を応援してくださったのが、初代情報科学部長の半田暢彦先生でした。藤が丘から長久手キャンパスへのバス2路線のうち、主でないほうは本数が少ないものの、静かな旧・長久手町内(現・長久手市内)を走り、空いていたことから、都合のあうときは好んで利用していました。旧・長久手町内にお住まいだった半田先生はそちらを利用されており、ときどき車内で会話する機会がありました。半田先生も同様の形態で研究をスタートされていたようで、専門の研究室にいては得られない視点からアプローチすればいいんじゃないかという助言をいただき、霧が晴れる思いでした。 さて、こうして学生時代を振り返ってみると、新しいキャンパスの雰囲気、学部1期生の仲間たちや親身な先生方など、とても幸運でした。そして、1期生として鍛えられたこと、新しいことに挑戦する楽しさは、いまの私の基礎となっています。教員として母校に戻ってきて、最初の新しい挑戦はロボカッププロジェクトへの参加でした。継続や悲願達成の前途は多難ですが、現在のメンバーは情報科学部の学生だけなく、活動は全学に拡がるかもしれません。授業や研究活動を通して情報科学部だけでなく全学の後輩へ何かしら還元しつつ、県大での年数を重ねていけたらと思います。31学生として過ごした県大

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