佐々木 雄太 元学長(第11代) 看護大学との統合に伴う「新県立大学発足」から10周年という。そのスタートに関わった一人としてまずは祝意を共にしたい。県大ホームページの冒頭には2009年4月の新大学発足とともに定められた「大学の理念」が今も変わらず置かれている。これを嬉しく思った。私は2004年4月から8年にわたって県立大学長を務めたが、この時期は現在の県立大学につながる制度的な基礎作りに関わる繁多な数年であり、また多難な時期でもあった。これを歴史として書き残そうと思う。 県大はいらない! その頃、財政危機に陥っていた愛知県は、私の学長着任の半年前に「県立の大学あり方検討会議」を設置し、行財政改革の一環として県立3大学(県大、芸大、看護大)の「あり方」の見直しを開始していた。私の学長として最初の仕事が、有識者からなる「検討会議」に出席し、県大の存在理由をめぐって論陣を張ることであった。この会議では、芸大と看護大はそれぞれの大学のミッションが明確であるとして存続の方向が早々と認められたが、愛知県立大学については、委員を務める県内の大手私立大学の学長や有名教授から「県立大学はいらない」、「少なくともフツウの大学として存続する必要はない。生き残ろうというならばニッチを探せ」という乱暴な意見が相次いだ。つぶれかけている大学に対してならいざ知らず、ひとし並みに存在している他大学に対して「いらない」とは何という無礼か、と感じたが、驚いたことに、これに対して県大の設置者である愛知県関係者は何ひとつ反論しなかった。愛知県は、1998年に400億円超を投じて県大を名古屋市内から長久手の丘陵地に移転し、学部、学科、大学院を増設した。それから6年にしかならないというのに、である。不見識な「県立大学不要論」に対する反論はもっぱら新米の学長に委ねられた。 私は、大学内での議論を重ねながら、県立大学の存在理由を繰り返し主張した。そんな過程で、その後、「大学の理念」に掲げることになった「良質の研究に裏づけられた良質の教育」という概念が生まれた。多くの私立大学が入学生を求めて目新しい看板の店を出したりたたんだりしている中で、大学本来のミッションを貫く「フツウの大学」こそ「ニッチになる」というのが、暴論に対する私の反駁の台詞であった。 この研究・教育に関わる理念は、看護大学との統合に基づく新県立大学の設置とともに「大学の理念」の第Ⅱ項として定められた。ちなみに、そのⅢは2005年に県大の隣接地で開催された愛知万博「愛・地球博」の基本コンセプトを大学として継承する趣旨であった。 38新県立大学の理念(2009年4月) Ⅰ 「知識基盤社会」といわれる21世紀において、知の探求に果敢に挑戦する研究者と知の獲得に情熱を燃やす学生が、相互に啓発し学びあう「知の拠点」を目指す。 Ⅱ 「地方分権の時代」において、高まる高等教育の需要に応える公立の大学として、良質の研究とこれに裏付けられた良質の教育を進めるとともに、その成果をもって地域社会ならびに国際社会に貢献する。 Ⅲ 自然と人間の共生、科学技術と人間の共生、人間社会における多様な人々や文化の共生を含む「成熟した共生社会」の実現を見据え、これに資する研究と教育、地域連携を進める。 行革と大学改革 次の難題は愛知県の行財政改革の中での学部・学科再編であった。愛知県は、大学の改組・改革をもっぱら行財政改革の論理に基づいて進めようとした。「数を減らす」ことと「改革という形」にこだわったのである。 削減は、まず学部・学科の数に求められた。18歳人口の減少とともに入学生獲得が難しくなりつつある状況で大学の学部構成はどうあるべきか、私は予備校や高校等にヒアリングを重ねながら、まずは「顔がくっきり見える学部、学科」という結論に行き着いた。文学部を分割し、日本文化学部と教育福祉学部の設置を決めた。外国語学部のあり方については悩んだが、国際関係学科を新設する代わりに、ヨーロッパ系言語の学科を「ヨーロッパ学科」に統合する数合わせの妥協を余儀なくされた。いまひとつの妥協は「夜間主コース」の廃止であった。これは教員定数削減を余儀なくされる学部・学科の廃止よりも犠牲が少なくて済むと判断したからである。大局的に考えてこれ以上の選択はなかったと思っている。学部数は看護学部を含めて3学部から5学部となった。以上が2009年の「新大学発足」への経緯である。 「法人化」と「統合」 この「新大学発足」に先立って「設置者の変更」が行われた。いわゆる「法人化」である。県立の大学の設置者は「愛知県」ではなく「愛知県公立大学法人」となった。愛知県は行財政改革の一環として「法人化」を進めようとしたが、私は、前任の国立大学法人化の経験から、法人化自体は決して経費の削減にはつながらず、むしろ適用法令に準拠するための初期投資等が必要になることを説いた。すると、県は「法人化」に県大と看護大との「統合」を抱き合わせる計画を持ち出したのである。私たちは「内発性も必然性もない統合」には気が進まなかったが、「統合」自回顧̶̶県大学長の8年
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