愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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卒業生・教職員からの寄稿体は結果オーライであったと思う。 キャンパスを異にする看護学部の学生は、1年間ではあるが、長久手キャンパスで他の4学部学生とともに学ぶことができる。看護学部生は何よりもこれを喜んだ。一方、卒業後の明確な目標を見据えてタイトなカリキュラムに取り組む看護学部生の存在は、長久手キャンパスの、とくに人文・社会系の学生に大きな刺激になったようである。 学部それぞれの教育内容や教育方法の改革・改善もさることながら、私は、5学部から構成される複合大学のメリットが発揮できる教育改革を構想していた。学部・学科を横断的に、また学年の違いを超えて、共に学ぶ仕組みを取り入れたいと考えていた。しかし基幹部分のカリキュラム改革の課題は第2期中期計画に先送りされ、私の手の届かない課題となった。これが心残りであった。 「一法人複数大学」の利点 県立の大学の設置者の変更すなわち「法人化」の際に、愛知県は全国で初めての事例として「一法人複数大学制」を採用した。これは、法人化後の組織形態として「理事長・学長一体型」か「分離型」か、という議論の末に行き着いた仕組であった。「教学と経営の一体性」という観点からは「一体型」が望ましいのだが、現実的には、芸大と看護大を含めて3大学を1大学に統合するか、あるいは一人の理事長が3大学の学長を兼務するか、いずれかの形を取らない限り「一体型」は実現しない。複数の大学長を兼務する事例が他県になかったわけではない。しかし、愛知県における現実の組織運営を考えた時に、芸大、看護大といった文化が大きく違う大学をひとつに統合して運営するには無理が伴うこと、その場合、それぞれの大学の個性が失われるかもしれないことに気がついた。当時は必ずしもそのメリットに確信があったわけではなく、どちらかといえば苦肉の策だったのだが、結果的に「一法人複数大学」の制度はよかったと思う。 この仕組のメリットのひとつは財政のスケールである。財政運用を法人が一元的に行うことによって、一大学ではとても実現できない事業や施設の拡充が年次計画的に可能になった。さらに大きなメリットと考えるのは、一法人が設置・運営する複数の大学がそれぞれの個性を発揮できること、無理にひとつの大学に括られることによって失われるかもしれない個性を維持し発展させることが可能だという点である。後に文科省高等教育局の関係者から一法人複数大学の是非についてヒアリングを受けたが、私はもっぱらこの点のメリットを強調した。 県大のキャンパスのあちこちに、今でも絵画や彫刻の展示がある。これらのほとんどは県立芸大の教員、学生、大学院生の作品である。大学生活の中で、学生は知性を養うとともに感性を磨くことが有意義である。感性を磨くことが知性を高めることにもつながる。そのような趣旨で、兄弟大学である芸大にお願いして作品の貸与を実現した。また、時には県大の講堂や図書館のホールを使ってコンサートも開いた。これは芸大の学生にとってもメリットだと聞いた。芸術作品は見る人がいて、聴く人がいて、はじめて完成するものなのだから。本当は、芸大の教員の力を借りて、県大の教養教育の中に芸術をふんだんに取り入れたかった。 新・県大ファンファーレ 愛知県内において県立大学は昔から地味な大学で、知名度に欠けていた。名古屋市内でタクシーを拾って「愛知県立大学」と言って、まっすぐ運んでくれることは滅多になかった。そこで、市民、県民の中に「愛知県立大学」のイメージをしっかり植えつけることがひとつの課題であると考えた。2009年4月の新大学発足を前に、大学の広報活動を積極的に考えた。当時の県大としては思い切り斬新な大ポスターを主要地下鉄の駅等に掲示した。真っ先にOBやOGから「県大、変わったね」と反応があった。しかつめらしい「愛知県立大学学報」に代えて「県大Now」という広報誌を発行した。そして、2008年秋には「2009年春、愛知県立大学が生まれ変わります」を標語に「新・県大ファンファーレ」と銘打った一週間の催しを行った。大学祭を間に挟み、鳥越俊太郎氏、亀山郁夫氏、藤原帰一氏の講演会とともに、県大の教育・研究の成果やこれからの計画の大公開を行ったのである。この乾坤一擲の催しに延べ1万人以上の県民が足を運んでくれた。愛知県立大学もようやく「地域とともに歩む公立大学」として県民の中に浸透し始めたことを実感した。 違った舵取りがあったかもしれない、と今にして思う。10年以上も前に思い至ったディシプリンが生き続けているのをみるのは嬉しいことではあるが、これにいつまでもこだわることはない。社会の変化、知的進化を見極めて大胆な見直しをする英断も期待したい。39

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