愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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堀田 英夫 元外国語学部ヨーロッパ学科スペイン語圏専攻 教授(外国語学部スペイン学科 卒業生) 住宅街の町中にあり、正門を入って少し走れば、裏門から出てしまう狭いキャンパスだった旧愛知県立大学が1998年に、ずっと広く、豊かな緑に囲まれた土地で、近代的な建物が建つ新しいキャンパスの長久手へ移転した。移転に伴う学科・学部・大学院新設、昼夜開講制などについて、移転前の何年かを「調整委員」なる名の役目を与えられ、かなりの数の打合せや会議に出席した。学内だけでなく、県庁の担当職員、それにコンサルタントの財団法人担当者との会合も何度かあった。全学的あるいは愛知県(そして日本)の中の大学という視点を持たなければならない役目ではあったが、先輩委員の山田正浩先生、田中正人先生などから学ぶことのみ多く、自分の所属する学部(学科)としての視点を離れることができずに参加していたのではないかと思う。 移転当初はリニモ(東部丘陵線)が未開通で、学生も教職員も自家用車でなければ、藤が丘から直通バスで通った。時間によっては乗車待ちの行列ができ、座れないこともあった。しかし車内で自分が直接指導しているのではない学生から卒論の相談を受けたこともあり、学生と教員との関係が近いという県大の伝統が続いていると感じた。ただ小生は2005年から学生部長を務めることになったため、自家用車通勤に変えた。高校(生)への広報と入試、入学式、学生の諸問題、就職、卒業式などなど、学生生活全般に関わる学生部の仕事は、優秀な学生部職員と学生部次長太田淳先生のおかげでできたことであった。特にセンター入試は、本学に志願しているのではない受験生も対象の全国規模事業の一環で、担当職員の方々の働きと緊張感を直ぐ近くで感じた。その職員などのおかげで大きな問題もなく行われることができたと思っている。2005年3月のリニモ開通に合わせバスが廃止された。またすぐ隣で「愛・地球博」が3月25日から9月25日まで開催された。会期中は大勢の観客が帰る時間と夜間主学生の帰宅時間が重なり、名古屋方面へリニモで帰宅する学生・教職員は、乗車のため長い行列で待たなければならなかった。しばらくしてからバスを運行してもらえたと記憶している。愛知万博と県大との関係で小生が関わったことでは、メキシコ協定大学のラス・アメリカス大学国際交流部長が博覧会見学を兼ねて、来日・来学され、個人的に徳川園などへお連れした。また学生対象にスペイン・パビリオン館長に講演をしてもらった。 2007年には設置者が、県から愛知県公立大学法人となる。それまで使っていた広い学生部長室が理事長室となるため、同じ管理棟2階の比較的狭い部屋へ2006年度途中で引っ越した。家具は職員が移動してくれたのだが、書類などの整理を太田先生と一緒にした。組織替えで学生部から学生支援センターとなり、新しいセンター長を迎えるための部屋として、2006年度末に、今度は講義棟(東棟)の1階奥へ引っ越しし、愛知県立大学最後の学生部長として任期を終えた。 続いて新設された教育研究センター長を拝命した。「教育研究の充実と教育改革」を目的としたセンターの事業は、大学としても初めてのことが多く、センター長補佐の宮崎真素美先生、鵜殿悦子先生、宮浦国江先生、太田淳先生、それに北条泰親氏をはじめとする職員の皆さんの知恵と労力によるところが多かった。センターから文部科学省「社会人学び直しニーズ対応教育推進プログラム」に「ポルトガル語スペイン語による医療分野地域コミュニケーション支援能力養成講座」の事業で応募し、採択を得た。文科省委託事業として2007年度から3年間開講し、その後も大学として継続してもらっている。この事業は、職員の方々と学部学科・看護大の諸先生、ウエブでの情報提供で太田先生、看護師資格を持つ国際文化研究科院生大谷かがりさんなどの協力を得て実施できた。 2009年の愛知県立看護大学との統合による新愛知県立大学の発足までは、教育研究センター長として、全学共通科目、中期目標・中期計画などの立案に、また何度かの会合に時間を費やした。看護大との全学共通科目の打合せでは、看護大の先生から統合には反対であると最初にいきなりの発言があり、面食らった。この場で話すことではないと聞き流すしかなかった。統合後は、看護学部学生対象のスペイン語授業も担当した。看護学部生もまじめでおとなしく、県大生全般の印象と共通していると感じた。中期目標だったかの立案での何回かの打合せの中で記憶しているのは、「敷地内禁煙」と「高等言語教育研究所」が何度か削除されたのをそのたびに復活させることができたことである。教育機関での禁煙は、現在は一般的だが、当時はまだそれほどでなく、看護大でも禁煙でないとかで異論が会合外で聞こえてきた。研究所については、文系でも共同研究が必要という問題意識から、専門が外国語教育でなくても学部語学教育についての共同研究なら多くの先生に加わってもらえるのではないかという期待を抱いていた。研究所設置後、諸先生の協働により、学生を巻き込むいくつかの活動を行うことはできた。 40ささやかながら振り返る県大の歴史

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