愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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草刈 淳子 元愛知県立看護大学 学長(第2代) 新・愛知県立大学発足10周年を心からお祝い申し上げます。2001年4月1日から2005年3月末まで在任致しましたが、初年度から当時の県大の森正夫学長と共用の「サテライトキャンパス設置」について協議し、県御当局のご賛同のもとに、翌年度には名古屋駅に程近い会館に開設されたのは有難いことでした。続いて助産科設置、最終年度にはILO提唱の「教育休暇」の条例が看護職のみならず県職員を対象に制定され、その時点での懸案事項全てが実現し、県の全面的協力に心から感謝しました。 2004年、県立看護大学10周年記念式典の折には、県医師会・名古屋市医師会の代表の先生方の出席も得、初代波多野梗子学長始め当時の教職員のそれ迄のご努力があったからとはいえ、10年という歳月は、全ての組織にとって、将来への更なる発展のために、必要で重要な基盤だと実感させられたことでした。  新・愛知県立大学としてこれ迄築かれてきたものを土台に、今後更なる発展を、久冨木原学長のもとで遂げてゆかれますことを、心から期待しております。 日本の医療は1945年の第二次大戦後、予防からリハビリテーション迄を含む幅広い、新たな医療概念の下で再出発し、これを基盤に初の看護教育の大学化が、1952年、県立の高知女子大学家政学部に、翌1953年には国立大学としては初めて東京大学医学部に衛生看護学科(定員40人)が開設されました。私と小玉香津子氏(初代名古屋市立大学看護学部長、ナイチンゲール著作の翻訳者)は同学科3期生ですが、当時指導に当られた医師・看護職(保・助・看)の先生方は、新しい医療理念の下でいかなる学生を育てるか、大いに努力を尽くされました。入学し、教養学部で他学部・他学科の学生及び多くの他領域の先生方とも論じ合えたことは、その後の幅広い思考基盤となっています。看護の専門職化が漸く確立してきた今日、日本の全大学の約3分の1を看護系が占めるに至りました。 昨2019年7月初旬、名古屋国際会議場で第25回日本看護診断学会が開催されました。実は前年度の学会で、学会発足時の私を含めた役員3人が名誉会員に推薦され、その際の私の挨拶を聞かれた次期大会長(名大・本田育美教授)から、翌25周年大会が、学会発足時と同じ会場で開催されるので、特別企画講演として発足当時の状況を話して欲しいとの要請を頂きました。1991年、当時POS(問題志向型理論)を論じておられた日野原重明院長(聖路加国際病院)を中心に日本看護診断研究会が発足し、1995年に学会を立ち上げたその会場で、これからの若い会員の方々にこれ迄の歩みを継承できる好機と考え、このお求めを受け、特別講演を終えることが出来ました。多くの参加者から「戦後から今日に至る経緯を通して日本の看護の専門職化への発展過程を知る良い機会となった」と喜ばれたのは幸いでした。壇上から下りた途端、かつて私が、0歳と2歳児を連れて毎週講義に出かけ、18年間通った国立K病院附属看護学院卒で今や大学教授になられた方や、「今回初めて先生の講演を聞いて感動した」と話して下さった現場の方々に囲まれ、講演の機会を頂いた事を、心から感謝しました。 愛知県で、当時の神田県知事はじめ多くの方々との出逢いや教職員の温かい連携の下に多くの学びを得させて頂き、80才中半にある今、皆様に是非伝えておきたいことがあります。 人生は「邂逅」である。出逢いを大切に!・・・ 準備のない者にチャンスは活きない! 1972年、日本看護協会創立25周年記念大会を機に、第6代目小林富美栄協会長(元厚生省医務局看護課保健婦係長)は、看護職の専門職化を目指し、記念講演「職業と専門職性」を石村善助氏(「現代のプロフェッション」の著者)に依頼し、翌年、看護職や社会学者等からなる研究会を編成し協議を重ねました。その最後の合同会議で、偶々私の隣席の男性が「専門職は診断と治療ができるのですよ」と呟かれ、反射的に私は「1972年NY州では、看護職が自らの職務上の診断と治療ができるとした法律が制定されました!」と反応、それが石村先生との最初の出逢いでした。早速関連資料をとのことでお送りした処、先生主催の「プロフェッション研究会」に参画させて頂き、更にそこで米国から帰国直後の天野郁夫先生(当時、名大教育学部助教授)御夫妻にお会いしたのです。2005年3月末、私の学長在職最後の仕事となった「県立大学と県立看護大学合併第1回検討会」で、委員会のお一人として、天野郁夫委員(当時、東大教育学部教授)に30余年振りに再会し、更に夫人とは後年、千葉大学(文学部)に赴任され再会したのでした。 また、同研究会でお会いした平林勝政先生(法社会学者、後の國學院大學副学長)からは、1983年の日本医事法学会第13回大会「アメリカのNP(ナースプラクティショナー)にみる医療業務と責任の再配分」への参画を看護職として依頼され、初めて他領域の学会(唄孝一会長)で発言する機会を得ました。平林先生はその後、厚労省「看護の新たな見直し検討会」委員として尽力して下さいました。 他方、1984年の日米産業比較研究(日本経済研究センター)では、物流・情報等13分野の研究班の「医療部門」でご一緒した二木立先生(日本福祉大学前学長)からは、現在も医療情報に関するメールを毎月配信して頂いており、 42新・愛知県立大学発足10周年記念誌に寄せて

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