愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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鎌倉 やよい 日本赤十字豊田看護大学 学長(元本学副学長) 現在の愛知県立大学開設への道のりを振り返ると、かなり大変な道ではあったが、愛知県立看護大学として当時描いた将来構想はほぼ実現した。私は、大学改革の渦中に大学院研究科長となり、当時看護大学に学部長のポストはなく学長が兼ねていたこともあって、全速力で走ってきた感がある。教育と研究に没頭したいと願いつつ、大学改革の渦中に入ることを覚悟したことが思い出される。新大学となって初代の看護学部長・看護学研究科長となり、学部としての順調な出発に尽力した。統合に向けての道程など、当時の様子を知っている人も少なくなり、記憶を書き留めておきたい。 平成15年(2003年)の頃だったか、愛知県は県立大学改革として、愛知県立大学、愛知県立芸術大学と愛知県立看護大学の3大学統合を提案し、有識者による検討会が組織された。会議には各大学の学長が委員として参加し、愛知県立看護大学からは第2代学長の草刈淳子先生が委員として出席した。各学長はそれぞれ独立して大学運営することの利益と3大学が統合することのリスクを主張し、将来構想が論議された。その議論の中で、県立大学の入学式にも卒業式にも設置者の知事が出席したことがないのはいかがなものかとの批判があり、それを機に式典に知事が出席するという副産物も生まれた。 検討会は、3大学それぞれに設置の意義があり、独立して運営することが望ましいとの意見書を愛知県知事に答申した。草刈学長を始めとする愛知県立看護大学の教職員は安堵し、答申を歓迎した。ところが、平成17年(2005年)2月の愛知県議会における神田愛知県知事の答弁に驚いた。その概要は、愛知県立大学と愛知県立看護大学は統合する、愛知県立芸術大学はオリジナリティが高いので統合しない、平成19年(2007年)に3大学を法人化して、ひとつの法人が3大学を運営する、といった内容であった。後日、大学改革室に、答申に反してなぜ2大学統合となったのかを質問すると、答申を受けて3大学統合を2大学統合に変更したとの回答であった。 この間、私たちは愛知県立看護大学の大学改革構想を検討し、法人化を見据えて看護実践センターを設置し、がん看護に関係する認定看護師教育課程を2課程開設すること、地域貢献の要として公開講座及び有料の研修会を実施すること、大学院修士課程に助産師コース、専門看護師コース及び認定看護管理者コースを開設すること、さらに博士後期課程を開設すること、愛知県のシンクタンク機能を担うことについて検討を進めてきた。私は平成17年(2005年)に大学院研究科長に選任され、第3代学長川田智惠子先生と共に、教職員一同となって改革を進めていった。法人化に伴い、看護教育センター、看護学術情報センター及び看護実践センターが設置され、センター長に山口桂子教授、越川卓教授、岩瀬信夫教授が就任した。 愛知県との交渉の場面では、県のがん対策をサポートする構想であること、看護実践センターの収入で運営する5000万円の事業計画を提示した時、大学改革室の担当者の態度が前向きに一変したことを記憶している。愛知県立看護大学からの提案はすべて承認され、法人化の同年(2007年)には修士課程に専門看護師コース及び認定看護管理者コースが開設され、翌年(2008年)には看護実践センターが開設され、認定看護師教育課程(がん化学療法看護、がん性疼痛看護)の教育が開始された。  一方、愛知県の2大学統合との最終決定を受けて落胆はしたものの、この決定を覆すことは困難であることから、看護大学では将来を見通して、どのような形での統合が望ましいか、検討が開始された。県立大学佐々木雄太学長からは教育福祉学部と看護学部を統合し、看護学科になることを求められた。しかし、愛知県立看護大学としての将来構想からは合意できるわけもなく、看護学科となることは看護界での競争力が失われることを意味した。何度も話し合いを重ね、看護学部としての統合が合意された。また、大学院についても、再度の話し合いを重ねて看護学研究科としての統合の合意となった。 2大学の統合様式として、両大学を廃止して新大学を設立する方法が決定され、設置申請を行うこととなった。新大学の名称は、新たな案が提案されたが、結果的に愛知県立大学とすることが決定され、当時は区別するために「新愛知県立大学」との呼称で表現していた。看護大学では、博士後期課程の設置と博士前期課程に助産師コースを開設することを目指して、文部科学省大学設置室への相談、医学教育課への相談を重ねた。また、博士後期課程は、需要調査に始まり、設置の趣旨として博士後期課程の構想を書類にまとめた。看護学部の申請書類は大津廣子教授が、大学院の申請書類は鎌倉が担当した。文部科学省の要請に応じて、2人で意見交換しながら、多くの規程類を作成したことが思い出される。 また、設置申請とは別に、県立大学に包含される組織として、看護学部内の組織をどのように融合させるかが課題であった。全学委員会の機能を聞き取り、新大学全体の運営図を作成し、看護学部がうまく連動するように学部内の組織を構築した。平成21年(2009年)に新大学がスタートしたが、看護学部・看護学研究科も順調にスタートした。今後、愛知県立大学がますます発展することを祈念している。 44大学改革の要請と県立大学・県立看護大学統合

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