愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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卒業生・教職員からの寄稿ロベル 智子 愛知県立芸術大学事務部門長(国際文化研究科 修了生) 私が愛知県の嘱託職員として大学で働きだしたのは2006年で、当時はまだ大学が法人化する前でした。事務は愛知県から派遣された職員と嘱託職員で構成されていて、学部にはそれぞれ教員センターがあり、職員ひとりが担当する事務業務も今に比べるとずいぶん余裕があったように感じます。その後、法人化に伴い事務の合理化が大きく進んでいくことになりました。 私が最初に担当させていただいた仕事は、外国語学部の科学研究費の執行や申請に関わる事務でした。教務課の課長補佐の隣にデスクを置いてもらい、文学部の科研費担当の同僚とともに、今までにない“研究支援”をモットーに仕事をしていました。今までにない、というのはその同僚と私は、初めて研究支援を担当する職員として採用されたからです。当時の佐々木学長が愛知県と交渉して作ったポジションだったことを後から知りました。 今では科学研究費といえば電子申請が当たり前になっていて、マウスのボタンクリックひとつで書類が提出できますが、当時は提出までにいくつかの手作業が必要でした。科学研究費の種別によって提出書類の表紙の右上の角をカラーマジックで指定の色に塗りつぶす作業や種別ごとに求められる必要部数を製本し、最終的にはダンボール箱にきっちり梱包して日本学術振興会へ宅配便で送る、というものです。年に一度、科学研究費の申請の時期になるとそうした一連の作業を行うことが大学事務のルーティンワークでした。 先生方が提出書類を作成する時期になると、その書類に誤字や脱字がないかを確認する作業もあり、その研究計画書を読むことがとても楽しみだったことを覚えています。 2007年に大学が法人化され、嘱託職員ではなく契約職員と呼ばれるようになりました。そして事務の合理化に伴い科学研究費の担当は私1人になり、外国語学部担当から全学部を担当することになりました。現在の県立大学は5学部ありますが、当時は3つの学部でしたので外国語学部に加えて文学部、情報科学部の先生方にもお世話になることになりました。全学部を担当することで各学部の特色がだんだんわかってきて、先生方が実に個性豊かな研究をされていることを知り、毎日何か新しい発見をしていたように記憶しています。 この頃から日本学術振興会の事務手続きの電子化がいっきに進んでいき、科学研究費についても電子申請と書面提出のハイブリッド方式を経て、現在の完全な電子化に移行していきました。それまで毎年秋の科研費の申請時期になると購入していたカラーマジックも不要となり、ペン立てに残っているカラーマジックを見て思わず「お疲れ様」と声をかけたくなったものです。電子化に伴い、利便性は格段に向上し、紙資源の節約にもつながりました。ものごとがスピーディーに処理されていく中、それと引きかえに“牧歌的”な時間を失ったな、と思いつつ毎日を過ごしていました。 法人化後に大学の統合があり、時とともに県立大学は大きく変化してきました。そうした変化の裏側には想像もつかないほどの大変な調整、交渉、膨大な事務作業や手続きなどがあったことは想像に難くありません。私は実際にそうした業務に直接関わったわけではないのですが、作業に手が足りなくてお手伝いをしたこともあり、“今、変わりつつある県立大学の真っ只中”にいたという感覚はありました。新しい時代の夜明けでもあり、わくわくすることと未知への不安と期待のような空気が流れていたと思います。そうした瞬間に立ち会えたことは職員としてラッキーであったと感謝しております。 刻々と変化する時代の中で大学に求められていることも多様化していますが、愛知県立大学が地域の中の「地(知)の拠点」として、これからの時代を創造する実直な人材を育成する教育機関であり続けることを願っています。49大学職員のひとりとして

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