愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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教職員・卒業生からの寄稿北條 泰親 元事務部門長(外国語学部フランス学科 卒業生) 2007年4月に愛知県立大学の法人職員第1号として採用され、卒業後31年ぶりに母校の門を潜った。国立大学法人化の業務経験を活かして欲しいとの、佐々木学長からのお声がけによるものだった。 緑の丘の上、白亜に輝く県大で着任早々感じたのは、その風貌に似合わぬ事務室の様子であった。「除籍された学生の成績は入学時に遡って全て消えてしまうのだ」と某係長が話すのが聞こえ、慌てて訂正しに割り込んだ。事務の質を早く高める必要性を感じた。 着任後の自分の課題は、法人化による業務運営方式の導入と定着化、2年後に迫った看護大学との統合、夜間主コースの廃止、新教務システムの導入、そして、何よりも急がれたことが先に触れた、職員の育成であった。 法人化の業務運営、例えば中期目標・計画、年度計画・実績報告など制度的な運用は、幸いなことに国立大学法人とほぼ同じ制度設計であったため、比較的取り組みやすくリードできた。ただ、息つく間もなく新しい事業が次々と舞い込んだ。法人の初代理事長、清水理事長からの提案で、「中部の企業トップに聞く」の連続講義を開講することになり、外国語学部の堀先生が授業担当となるも、直ぐに半期10数人の講師を探しに、理事長にお供して、講義の趣旨説明と就任のお願いに走り回った。奇跡的な調整だったが、中日新聞の大島社長、CBCの夏目会長、東邦ガスの水野会長、松坂屋の岡田会長、豊田通商の古川会長、名古屋鉄道の木村相談役から始まり、神田知事、大村知事ほか、清水理事長ならではの豪華な顔ぶれが毎年揃った。宮浦先生の英語特別講義も始まり、スペイン学科主導の「医療分野ポルトガル語スペイン語講座」にあっては、法人化初年度から始まった。 統合関係では、設置審の事務を大学庶務と法人総務の担当の方が鋭意進めてくれたので、担当した学務の方では、教養科目のカリキュラム統合や学生支援関係のすり合わせから始まった。教養科目は、県大側は外国語学部の堀田先生が中心となり、凄まじいスピードで看護大学側との協議を進めてくださった。その他、記憶を辿れば、入試問題、募集要項などの統一、入学手続きの日程、センター試験やオープンキャンパスの実施方法、入学式・卒業式の開催、奨学金事務の運用、入学料・授業料免除、定期健康診断、サークル活動、看護学部1年生用のロッカー、第2食堂の建設、大教室の設置計画、キャンパス間の移動手段、時間割・シラバス履修登録の統一、科研費関係、公開講座・学術講演会の実施方法等、一つずつ検討を進め、担当職員達が大いに気を吐いてくれた。教務システムの導入では、知り合いを頼って名古屋外国語大学を訪ね、懇切丁寧に助言をいただき、ありがたかった。 肝心な「職員の育成」だが、事務職員向け研修を着任後2年目の夏から行った。大学制度と関係法規を自分が担当して、中教審46答申、臨教審から大学審、産学連携と競争資金、国公立大の法人化、「多様化」から「学士課程教育」に至るまでの流れと、学校教育法から学則までの法的な枠組みを説明し、実務担当者にも講師をしてもらい、教務や教職事務についても勉強しあった。プロパー職員も少しずつ増え、業務への改善提案さえ出始めた。佐々木学長が中教審大学分科会の大学教育部会長をされていたことも職員達の学習意欲を後押ししていたかも知れない。 その後、自分で鉛筆を舐め、文部科学省の「就業力育成支援事業」に申請し不採択となったが、キャリア支援の重要さを法人が理解してくれ、キャリア支援室の人員増につながった。続いて、初めて採用となったプロパー女性職員のうち1人がJASSOの国際大学セミナーに申請し、見事に採択され、素晴らしい国際交流事業ができた。高島学長時代へ移り、事務方では外国語学部担当のプロパー女性職員2人が中心になり、先生方とともに文部科学省「グローバル人材育成事業」に申請し、これも見事に採択され、その後の大学事業展開の大きな原動力となった。 その時期には、理事長が2代目の笹津理事長に交代されており、輪をかけて職員の育成に力を入れてくださった。また、就任早々、20社を超える就職先の企業回りを提案され、ご同行いただいた。随行する車中では、矢継ぎ早に大学運営について質問され、後で関係資料をお届けすることも幾度かあった。県大のオフィスの改修にも大いに関心を持っていただき、若手職員を重用して、見事に改装が成し遂げられた。そのほか、インドネシア関係の事業を始め、様々な業務を通じて、職員のやる気を大いに引き出してくださった。 自分は国公私立、全ての設置形態の大学に勤務するという幸運に恵まれた。学生として県大を卒業した時は、オイルショック後の就職難で苦労したものの、良い学生時代だったと感謝して大学の門を出た。その数年後に国立大学職員として大学に戻ったが、爾来、自分が常に良い大学作りをしてきたかといえば、必ずしも胸を張れる思いばかりではない。今の大学で良いのか、大学とは何ぞやという疑問から逃れられたことは片時もない。高等教育行政の方法論が縮こまってきた昨今、苦労の割には本質的な部分で躍動感に欠ける印象さえある。もう一度人生があったとしても、再チャレンジで同じ職業を選ぶことはないかも知れないが、愛知県立大学で勤務したあの激動の7年間に、ご指導いただいた理事長、学長を始め、ご支援をくださった先生方や県職員の方、そして、何より大学事務職員として立派に育っていった多くの人たちとどこかでもう一度一緒に仕事をしてみたいという気持ちだけは大いにある。 50プロパー職員第1号

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