愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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○ 日本文化学部長 大塚 英二 「文化で命と暮らしを救う―日本文化学部は災害に対して何ができるか、2つの観点から―」○ 教育福祉学部長 山本 理絵 「災害弱者に寄り添う専門職を育てる」 つづいて、サハラ砂漠の南縁に位置する半乾燥地域サヘルの事例では、廃村を強いるだけの力をもつ砂漠化の脅威を前に、農法上の工夫によって土壌保全に努める人びとの営みに光を当てた。砂漠化には、気候変化とともに過耕作などの人的要因が働いている。自然の支持力を無視した開発への反省から環境共生へと向かう変化には、独立直後から積み重ねられてきた国際的なNGOの働きが深く関わっている。 「文化で命と暮らしを救う」ということについて、2つの観点、即ち学部の教育研究領域と文化財・資料レスキュー活動の面から言及した。 第1の観点として教育研究領域の面であるが、そもそも日本文化学部はヒューマニズムの分野を担う。本学部の教育・研究は人間の尊厳の根本を問い、人に寄り添う意識や感性を覚醒させるものである。文学・思想、歴史学などは本来そうした学問である。 まず古い時代の文学ということで、災害と関わる前近代の代表的な作品として、鴨長明の『方丈記』や『発心集』を挙げる。ここには、天災等に直面して、それにどう向き合うかというテーマが込められている。無常観とは諦めではない、心静かにして悟りの境地に至る大きな世界観を示す。現代文学では、様々な形で被災者に寄り添う文学としての試みがなされている。東日本大震災のあとに展開している「災害後文学」に注目したい。 次に歴史学では、各種の編さん事業を通じて災害史や地震史等と直接かかわっている。瀬戸市史では明和4年(1767)大水害の記録を発見した。また、豊 教育福祉学部では、2011年の東日本大震災被災地へのボランティア活動参加後、学生たちは、愛知でできることを考え、障害のある子どもたちや地域の人々と交流するようないくつかのボランティアグルー 最後に、東日本大震災後の復興過程で動員された土木的手法に対して、イタリア人研究者が示した驚きの反応を紹介した。「アックア・アルタ(異常高潮位)」の度に冠水するヴェネツィアの事例にふれつつ、レジリエンスの文化について、多様な時間スケール、自然災害と人災の複合性、グローバルな事象の連鎖の視点からコメントして、締め括りとした。田市史では、安政元年(1854)の東南海地震の記録を発見した。翌年の江戸安政地震も含め、これ以降全国調査が行われるようになったが、こうしたデータは非常に貴重で、現在の地震学などに活用されている。 以上、2つの分野から見て、学部の教育研究領域は、人々がどのように災害に向かっていくか、人々を見つめ、励ますものであったと考える。 第2の観点として文化財・資料レスキュー活動の面から見るが、「人はパンのみにて生くるものにあらず」と言われる。災害時にライフライン確保の後に必要になってくるのは文化である。文化として我々はものとしての文化財や歴史資料を重視する。そうした文化財は未指定のものを含め、地域の人々が生活していくうえで不可欠である。学部ではいま、文化と文化財を学びレスキューするための教科科目の準備を進めている。それに合わせ、12月6日には、本学部と県立芸大が連携して、シンポジウムを行った。 また、非常に実践的なことになるが、学部の教員には歴史資料保全ネットワーク(通称「資料ネット」)に参加する者が多くいる。これは、被災の現場で資料レスキュー活動を実際に行うボランティア組織で、全国、各県レベルの単位で作られている。愛知県でも東海資料ネットができて少しずつ活動を始めている。具体的には水損・汚損資料のレスキューへ向けた準備を行い、講演会やワークショップなどを開き、こうした実践活動の意義とそれを普及することの重要性を訴えている。 文化財・資料レスキュー活動は実践的な活動として、学部の教育研究領域とは少し異なるように見えるが、これはやがて学部の教育研究領域と重なってくると考える。以上2つの観点から見て、日本文化学部は「文化で命と暮らしを救う」ことができると考える。プを立ち上げ、地域住民とかかわりつつ学んできた。また、授業で震災時の状況や災害ボランティア等について取り上げたり、災害にかかわる保育・教育について調査研究したり、学生の自主的研究では災害時避難における66

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