愛知県立大学 新大学誕生10周年・長久手移転20周年記念誌
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6.コラム 愛知県立大学が大きな変化をくぐり抜けた1990〜2000年代は、大学一般を取り巻く状況も大きく変容した時期であった。公立大学の場合は設置者である地方自治体の動きも加わるため、多種多様な様相を呈することになる。本項ではこうした外的状況を中心に整理し、愛県大の歩みを理解する一助としたい。 90年代以降に展開されたのは「規制緩和と自己責任を基本とする大学改革」*1と整理される。その皮切りは91年に文部省が発した「大学設置基準の一部を改正する省令」であった。大学設置基準で細かく規定されていた授業科目や履修、教員組織の基準などを撤廃し、緩やかな大綱のみとした改正で、画一性が高かったカリキュラムを各大学で編成できるようになった。全国の大学でカリキュラム改訂が進められることとなったが、ほとんどの場合、一般教養を担う教養部の解体という組織改編を伴っていた*2。愛県大でもキャンパス移転と並行しつつ学部組織の改編が行われたが、これが可能となった背景が91年の制度改正であった。 ただし、キャンパス移転そのものは大学制度改革とは異なる文脈で議論がなされており、表立ってはすでに80年代半ばの愛知県議会で質問が現れつつあった。最も早いものでは、現在の長久手キャンパスに愛県大が設けていた体育館の工事に関連し、83年に移転計画の有無を問う質問が出ている。県側は大学の規模拡大と学生増加によりキャンパスが手狭で全面移転は検討課題であることを認めつつも、当面の移転は否定している*3。 当時の県の答弁では、愛県大の特色として夜間学部の存在や、東海地方の国公立大学で唯一の外国語学部をあげる一方、大学院新設は目下のところ困難としており*4、研究機能よりも教育機能の重視がうかがえる。また、87年策定の第四次全国総合開発計画で名古屋東部丘陵地域が「研究学園都市構想を推進する」と位置づけられたことを受け、県は現在の長久手市を含む尾張北部から西三河にかけての7市5町(当時)を「あいち学術研究開発ゾーン」とし、所在する大学の研究開発機能にも期待がかけられたが、移転前の愛県大は構想に含まれず、県議会における関連づけや理工系学部の設置を問う質問にも、財政上の困難や学内での議論を待っている旨を答弁するにとどめている*5。しかし、89年3月には移転構想を前提とした質問*6が出るようになり、同年12月には移転が新聞で報道されている。そこでは、愛県大を「あいち学術研究開発ゾーン」構想の中核として、移転に伴って「情報科学部」・「発達福祉学部」の新設による総合化と大学院新設による研究機能の強化がなされることが報じられた*7。移転を検討するプロセスで、愛県大の位置づけや役割も広がりを見せたと言えるだろう。郊外への転出を前提とした学部学科再編と施設設備の調査費が計上された90年2月の議会では、すべての代表質問で愛県大に言及がある*8など、注目が高まるなかで移転計画は準備されていった。その反面で、キャンパス移転と昼夜開講制への移行で通学をあきらめざるをえないという夜間学生の声もあった*9。 一方、国による大学制度の改革もさらに進められていく。自己点検や外部機関による評価の義務化といったチェック機能の導入などが行われたが、最大の変化は国公立大学の法人化による民間的経営手法の導入であった。大学の再編統合も前提にしており、2002年大学審議会答申で日本が大学の供給過剰を迎えたという認識が示されたことが象徴的である。国立大学の文部科学省依存を断ち切ると同時に、大学自らの責任と権限で運営を行う改革とされ、04年施行の国立大学法人法へと結実する。90年代に重ねられた検討が、小泉内閣での構造改革の流れとして推し進められたものと位置づけられている。公立大学の法人制度も同時に検討され、基本的に国立大学法人法に対応した条文が地方独立行政法人法のなかに設けられることとなった。ただし、公立大学を法人化するかどうかは設置者である地方自治体の任意とされ、法人と大学との関係についても裁量の余地が残された*10。 県議会では早くも99年には国立大学法人化の文脈から県下3県立大学のあり方について質問が現れており*11、民営化・第三セクター化という意見*12や、「財政的配慮」からの大学統合・教養部門の一元化という意見*13も出ていた。80年代後半から90年代にかけての議論と比較すると、財政的な観点が極めて強く表れている。国立大学のように即時の移行ではないため、全国の公立大学では財政不安や改革への意欲など、さまざまな状況から検討や様子見があった*14が、愛知県では03年8月に「県立の大学あり方検討会議」を設置し、方針が議論された。財政悪化の一方で万博関連など大型事業が予定される状況下で大学関連の支出はますます抑制されたという指摘もある。07年に公立大学法人を設立して県立の3大学を運営することとしたうえで、このうち県立大学と県立看護大学とを09年から統合するという再編をはじめ、夜間主コースの閉鎖などの整理を伴う改革となった*15。一法人で複数の高等教育機関を運営し、さらに法人の理事長と大学の学長を分離する形式は、地方独立行政法人法施86新大学誕生・キャンパス移転と大学をめぐる外的状況

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