愛知県立大学 外国語学部 ハンドブック
6/56

 外国語学部とは、外国に興味のある人間が集う場である。外国とは自国でない国々のことであるから、外国研究は自国研究と表裏一体の関係にある。人は外国について知ることで、自国を批判するようになることも、自国を見直すようになることもある。 日本人は古くから外国に興味を示してきた。日本の教育にいまでも漢文があるのは、古代から日本人が漢字文化圏の外国に興味を懐いてきたことの名残である。江戸時代、日本では西洋諸国への興味が徐々に増大した。日米和親条約で不本意ながら開国した江戸幕府は、二年後の安政3年(1856年)に蕃書調所を設け、「野蛮人の文献」を分析するように命じたが、やがて洋書調所、開成所と改称した。この系譜は明治新政府のもとで、一方で東京大学などに引き継がれ、外国人教師を招いて西洋文献を読むようになる。他方でこの系譜は東京外国語学校などに引き継がれ、語学学習を深めるようになった。官立外国語学校は愛知、大阪などにも創られたが、明治7年(1874年)創立の愛知外国語学校(愛知英語学校)は、□か三年で閉校になったものの、そこでは坪内逍遥が学んでいた。これに先立ち、尾張藩の明倫堂を継ぐ名古屋藩学校でも独自に英仏語教授を行わせており、当時の生徒には二葉亭四迷、加藤高明がいた(堀川柳人編『名古屋藩學校と愛知英語學校』)。昭和20年(1945年)の終戦後、官立の東京外国語学校、大阪外国語学校は国立の東京外国語大学、大阪外国語大学となり、外国語学部が置かれた。他の総合大学でも、外国語学部を置く事例が増えていく。 愛知県立大学外国語学部は昭和41年(1966年)に誕生した。昭和21 年(1946年)11月、旧学制の愛知県立女子専門学校(女専)が設置され、昭和25 年(1950年)に新学制の愛知女子短期大学となり(三年後に愛知県立女子短期大学(県短)と改称)、昭和 32 年(1957年)に愛知県立女子大学(県女)が設置された。この女専、県短には国文学科、英文学科があり、県女ではその二学科で文学部が構成された。昭和 39 年(1964年)、桑原幹4長久手のミュトス愛知県立大学外国語学部の沿革と伝統

元のページ  ../index.html#6

このブックを見る