浜松医科大学 NEWSLETTER 2022.3 (Vol.48 No.2)
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NEWSLETTER 私は昭和57(1982)年に浜松医科大学、続いて大学院を卒業し、名古屋第二赤十字病院の研修を経た後、浜松医科大学に約35年間籍をおきました。臨床では、血液内科、特に急性白血病の治療成績の向上に取り組んできました。また、造血幹細胞移植療法(SCT)を平成元(1989)年浜松医科大学に導入しましたが、本大学1例目のSCTの緊張感が思い起こされます。日本成人白血病研究グループ(JALSG)では、急性前骨髄性白血病(APL)プロトコール委員長として多施設共同研究に携わってきました。多剤併用化学療法が中心であった治療から、分子標的治療中心の治療への変遷をコアメンバーとして体感できました。さらに、近年急速に進歩した免疫細胞療法の一つであるCAR-T療法の本学への導入は令和3(2021)年に結実することができました。輸血部門では、安全性を最重視し、輸血過誤を起こさないことに専念してきました。一方で不規則抗体研究を国内多施設研究から国際共同研究へと拡大し、膨大なデータを纏めることができました。私を支えてくださった多くの皆様に深く感謝いたします。 40年間、浜松医科大学に勤務できたのは、これまでに関わった全ての皆様のおかげです。私は、長い間手術部に在籍しました。手術部は、チーム医療が最も必要な部署の一つです。ある宴会の時に、手術終了後に医師からの感謝の言葉がないのが不満と伝えたことがありました。生意気で恥ずかしい話ですが、手術終了後に何も言わずに去っていく医師にチームの一員として何かを求めていたと思います。その数日後、直接介助を終えた私に「ありがとう」と言葉をかけてくださった医師がいました。あまりに思いがけない言葉に、ぼおっとその医師にみとれてしまいました。すぐに返事ができなかった自分でしたが、チーム医療に必要なのは、そんな何気ない言葉かけだと感じ、心が温かくなりました。お互いへの感謝を言葉にすることで、チームの絆が深まり、それぞれの力がより発揮されると思いました。私は、あの時の「ありがとう」という素敵な言葉を今も大切にしています。皆様、本当にありがとうございました。わたしは、新人として昭和58(1983)年4月に採用され、最初の部署は小児科でした。採血の介助で患児をうまく押さえることができず医師より叱られたことをよく覚えています。そんな中で、低出生体重児で生まれた子が長期間のケアの後元気に退院したことは、私には大きな喜びでした。結婚、出産、子育てをしながら看護師を続け、7部署を経験し、大きな糧となりました。平成24(2012)年に看護師長として8階西病棟(精神科)に配属となりました。看護師長としての1年目は、不安とプレッシャーで日々緊張していましたが、スタッフに恵まれ、悩みはひとりで抱え込まなくてもいいと思えるようになり、とても気持ちが楽になりました。私の看護師長としての目標は「働きやすい職場環境を整える」ことです。今年度、自部署(8東)のスタッフのストレスチェックの結果より、優良部署に選ばれました。私が目標としてきたことが叶い、定年最後の年に大きな喜びとなりました。 子育てをしながら看護師を続けてこられたのは、今は亡き両親の応援といつも支えてくれた家族のおかげだと深く感謝しております。そして、多くの方々と出会いがあり、ご指導いただいた皆様に心よりお礼申し上げます。輸血・細胞治療部 准教授・部長竹下 明裕看護部 副看護部長鶴見 智子看護部 看護師長大石 智津子8血液学と輸血学の進歩とともに感謝の気持ちを言葉に感謝

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