浜松医科大学 NEWSLETTER 2023.3(Vol.49 No.2)
8/20

7NEWSLETTER退職によせて― Messages from Outgoing Staff ― 私が作業療法士として就職したばかりには、この仕事を定年まで続けていられることを想像もしていませんでした。今では、リハビリという言葉は医療やスポーツの分野のみならず、一般的に広く社会で当たり前のように使われていますが、当時は世間に馴染みが無く、患者様を担当する際、まず自分の職名やリハビリの説明が必要でした。それだけではなく、ご家族や病院スタッフに対しても仕事の内容を理解していただくのに本当に苦労したことを覚えています。そんな駆け出しの頃から約38年間、縁あっていくつか職場が変わりましたが、この仕事を長年やってこられたのは、職場の上司やスタッフに恵まれたことと家族の協力あってのことであり、周囲の方々に対しては本当に「感謝」の一言に尽きます。そして、定年という人生の区切りを迎えることになり様々な選択肢を考えましたが、あと数年作業療法士として働くことを決めました。もう少し周囲の方々にご迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、これまで私を支えていただいた全ての方々に感謝申し上げます。 私の新人看護師としてのスタートは旧西9階病棟(腎・消化器・神経内科)でした。ALSで人工呼吸器を装着していた患者Tさんは忘れられない患者さんの一人です。Tさんから呼吸管理、長期臥床患者のケア、リハビリ、文字盤でのコミュニケーション、家族看護等々、看護の基本を学ばせてもらいました。眼球しか動かせないので看護師が命綱です。ナースコールもできないので30分ごとに訪室していました。モタモタしていると文字盤で「先輩を呼んで」と言われ先輩に泣きついていました。先輩とTさん、奥さんとの信頼関係が素晴らしく、旧西9階病棟の看護の在り方が現在の自分の看護の拠り所となっています。 その後、数回の部署異動を経験しましたが、いつも周囲の先輩にさりげなく助けていただきました。特にGRMとしての7年間は「どうしよう」の連続でしたが、多職種の皆様の助けを受け、乗り越えることができました。組織管理を学ぶ貴重な経験となりました。副看護部長となって先端医療センター建設計画や既存病棟改修工事のワーキングに参加する機会を得た際に、GRMで培った安全への配慮や判断が少しはお役に立てたかなと思っています。 これまでを振り返り、自分は多くの方々にお世話になってきたのだなと改めて実感しました。皆様、本当にありがとうございました。 私は、昭和58(1983)年4月に新人看護師として、小児科病棟に入職しました。新人の頃は、小児の点滴管理に苦労したことを覚えています。当時は、看護師がプレイルームでの催しなども行い、患者さんと共に楽しい時間を過ごすことができました。その後、5部署を経験して平成18(2006)年に看護師長に昇格し、再び小児科病棟に配属となりました。看護師長1年目は、様々な課題に直面しましたが、副看護師長やスタッフに支えられて乗り越えることができ成長の糧となりました。 平成22(2010)年からは、教育担当として院内教育計画の企画・運営を行いました。「新人看護職員研修ガイドライン」が策定された年で、研修時間・内容ともに拡大し、研修は、全て勤務時間内で行う事になりました。毎年多くの新人を迎え、3月の「一年振り返り」研修では新人の成長を感じることができました。 副看護部長の8年間は、コロナ禍でのベッドコントロール、看護師のユニフォームに夜勤用スクラブ導入、地域住民の健康増進活動として「出張健康教室」を企画し多くの自治体からご依頼をいただき好評を得ています。 私が40年間働き続けることができたのは、多くの方々との出会いがありご指導していただいたおかげです。心より感謝申し上げます。リハビリテーション部 作業療法士秋山 恭延看護部 副看護部長岩品 希和子看護部 副看護部長須永 訓子皆様へ感謝申し上げますみなさまに感謝ですたくさんの出逢いに感謝

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る