岩手大学 農学部 令和6年度入学案内
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応用生物化学科、森林科学科、食料生産環境学科、動物科学科、共同獣医学科)に改組(農学生命専攻、応用生物化学専攻、共生環境専攻、動物科学専攻、バイオフロンティア専攻)に改組程、共生環境課程、動物科学課程、獣医学課程)に(細胞育種実験施設を廃止)(農学科、林学科、獣医学科)農学部5課程1学科を6学科(植物生命科学科、獣医学課程が岩手大学・東京農工大学共同獣医学科に改組大学院農学研究科修士課程2専攻を5専攻農学部を5課程(農学生命課程、応用生物化学課改組家畜病院を動物病院に改称国立大学法人岩手大学設立寒冷バイオシステム研究センターを設置農業教育資料館(旧盛岡高等農林学校本館)、旧門番所、旧正門が国の重要文化財に指定岩手大学大学院連合農学研究科博士課程の設置旧盛岡高等農林学校本館を修復し、農業教育資料館として開設岩手郡滝沢村巣子に滝沢農場を開設大学院農学研究科修士課程を設置岩手大学開学盛岡農林専門学校は岩手大学農学部へ盛岡農林専門学校と改称岩手郡滝沢村に演習林を設置岩手郡御明神村に経済農場を設置植物園を設置岩手郡御明神村に演習林を設置家畜病院を開設盛岡高等農林学校設置 岩手大学農学部の前身は、わが国最初の高等農林学校として設立された「盛岡高等農林学校」です。当時の東北地方は、度重なる冷害と凶作に見舞われ、農民や農村は疲弊しきっており、冷害の克服や食料の安定供給の実現のため、農業振興と技術革新、指導者の育成が急務となっていました。 こうした社会的要請に応える形で、日本の農学博士第一号である玉利喜造教授を初代校長に迎え、1902(明治35)年、盛岡高等農林学校は設立されました。 明治から大正にかけては、教授陣容、研究・教育施設の拡充、研究成果の充実がもたらされ、卒業生は「農林得業士」として活動の場を広げていきました。世界で初めてビタミンやオリザニンという形で発見した鈴木梅わが国最初の高等農林学校として誕生、時代の変化に合わせて、進化を遂げてきました盛岡高等農林・岩手大学農学部の歩み太郎教授、土壌・肥料学の第一人者であり、画期的な冷害研究で農学界を席巻した関豊太郎教授など、そうそうたる研究者たちが盛岡高等農林学校で教鞭を執りました。 1949(昭和24)年、盛岡高等農林学校(1944年に盛岡農林専門学校と改称)は、半世紀の歴史を閉じ、岩手大学の農学部として再出発しました。 その後、農業を取り巻く環境はめまぐるしく変化。農漁村の過疎化、環境汚染、食料環境問題、バイオテクノロジー、情報科学など、農学という学問分野が研究対象とする領域は、多様化し、拡大を続けています。岩手大学農学部はそれらの課題と真摯に向き合い、また組織改変などを行いながら、社会の要請に応えていきます。わが国農学博士第一号でもある 盛岡高等農林学校初代校長玉利喜造博士(明治35)(明治36)(明治38)(明治39)(大正2)(昭和19)(昭和24)(昭和39)(昭和41)(昭和52)(平成2)(平成6)(平成19)(平成10)(平成16)(平成17)(平成21)(平成24)(平成28)1902190319051906 本冊子の表紙に登場するこの建物は、わが国最初の高等農林学校として明治35年(1902)に創立された盛岡高等農林学校の本館として、大正元(1912)年12月に建てられました。青森ヒバを用いた明治後期を代表する木造二階建ての欧風建築物です。当時、一階は校長室、事務室、会議室に、二階は大講堂として諸学校行事に使われていました。昭和24年、学制改革により岩手大学発足後、大学本部として使われていましたが、昭和49年(1974)に本部が現在地に移転し、昭和52年(1977)同窓生等の寄金により改修が行われ、農業教育資料館として使用されています。1913194419491964196619771990199420071998200420052009201220164農業教育資料館農学部の歩み

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