当時の授業風景当時は船(成妙丸)を校舎として使っていた大正時代の活動風景1909年建造 雲鷹丸(登録有形文化財)大学の歴史東京海洋大学の価値創造の軌跡社会変化に対応する人材育成● 国家的急務となっていた良質な日本人船員養成の実現● 実践的な水産技術者速成の実現、水産業の地位向上変動する社会需要への対応● 商船学校への注目の高まりに応え、船員の大量供給を実現(海上物流の需要増加・戦争遂行)● 漁業形態の変化● 沖合・遠洋漁業への対応● 缶詰などの水産技術の改良、漁場調査戦時下総力戦体制への対応● 海軍士官養成(軍事科目の増加、海軍委託生の引き受け)● 在校課程延長による船舶運用高度化への対応● 海軍予備員制度の対象拡大● 練習船の徴用・関係者の殉死民主的・平和的な経済発展の実現● 軍事色を排した教育研究機関へ● 船舶の技術革新に応じた、船員養成● 船舶機器開発・設計、ロジスティックス教育研究の推進等大学が社会へ果たした役割社会変遷1875年1945年1882年1903年1925年1897年1903年1947年1888年私立三菱商船学校大日本水産会水産伝習所農商務省水産講習所越中島に移転高等商船学校海務学院官立東京商船学校越中島に移転官立東京商船学校農商務省水産講習所第一水産講習所東京高等商船学校水産実業者育成水産伝習所を創設し、漁労、製造、養殖の水産技術の伝習、実業者養成を開始東京水産大学日本人船員育成私立三菱商船学校創設により、外航海運を支えうる日本人船員育成を開始東京商船大学明治維新(1867~)欧米からの技術導入の進展。貿易立国の実現に向けた、外航海運技術の必要性急激な社会変化に伴う人材養成の必要性技術者の大半を外国人に依存する現状の打破国家主義の時代へ(1910~)海運の発展による国威発揚国策的見地による優秀海員育成振興満州事変(1931~)海運重要性の高まり太平洋戦争終結(1945)⇒戦後教育の重要性⇒高度の船員教育を不要とするアメリカCTS(海運関係管理機関)見解
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