幼い頃は飛行機好き。モノづくりが好きな青年時代を過ごし、巨大船との衝撃的な出会いを経て、海洋分野の研究者へ。そんな井関学長が東京商船大学(現:東京海洋大学)への着任時に受けた衝撃とは。井関学長と東京海洋大学1960年1月 福岡県福岡市で生まれる1972年3月 福岡市立警固小学校卒業 1975年3月 福岡市立警固中学校卒業 1978年3月 福岡県立修猷館高等学校卒業1984年3月 九州大学工学部造船学科卒業1986年3月 同 大学院工学研究科造船学専攻修士課程修了1989年3月 同 大学院工学研究科造船学専攻博士課程単位取得退学 同年5月 工学博士(九州大学)1989年4月 東京商船大学商船学部講師1990年4月 東京商船大学商船学部助教授1991年5月 文部省内地研究員 東京大学工学部船舶海洋工学科 1995年3月 文部省在外研究員 グラスゴー大学(連合王国)2003年10月 東京海洋大学海洋工学部助教授2006年4月 東京海洋大学教授2016年4月 東京海洋大学大学院海洋科学技術研究科長2020年4月 東京海洋大学海洋工学部長、附属図書館長2021年4月 国立大学法人東京海洋大学長(現在に至る)(社会貢献活動)2006年5月 社団法人 日本航海学会理事(至2008年5月)2012年5月 公益社団法人 日本航海学会会長(至2014年5月)井関学長が船に興味を持った理由、また、造船学科を目指した動機をお聞かせください。実は子供のころは飛行機が好きで、高校の文化祭では、クラスで人が乗れるサイズの複葉グライダーを製作しました。派手に墜落して(もちろん無人で)失敗したのですが、大勢で議論しながらの製作過程は今でも楽しい思い出です。大学受験では航空工学科が第1志望で造船学科は第2志望でした。結果第2志望にしか受からず、大学入学後はしばらくやる気が出ませんでした。しかし、専門課程の工場実習で、建造中の巨大な船に感激して、そこから大学での講義や製図がとても楽しくなりました。その後、就職を見越して早期に大学院進学を決めましたが、卒業研究が楽しくなり、そのまま研究者の道を歩むようになりました。井関学長が本学に着任した際の印象・思い出を教えてください。私が学生時代を過ごした九州大学工学部造船学科では、夏非常に暑い中で溶接や切断をするような過酷な環境の下、造船所での実習を行なっていました。火傷しないように防護服を着ていたので、もう汗だくです。ただ夕方まで実習して、寮に帰って、一風呂浴びてビールを飲むと非常においしい、とても幸せに感じました。私が就職したときの東京商船大学は、学生は質しつぼくごうけん朴剛健で、体を動かすのが得意な体育会系でした。私はそんなに体育会系ではないですが。教員の印象としては、船長や機関長のようにおおらかで、私のようなよそから来た人に対しても非常に親切に接してくれました。私は造船学科から来たものの、それまで実際に船に乗ったことがあまりなく、対馬行きのフェリーに乗ったことがある程度でしたが、就職して間もない5月にいきなり三泊四日で学生の実習航海に行かせてもらいました。それまで私は操舵室に入ったことがなかったのですが、そのときに学生がレーダーを見てちゃんと操舵をしているということが鮮烈な印象として残っています。一方で、そのとき乗船した練習船「汐路丸」は小さい船なのですごく揺れ、船酔いでものすごく気持ちが悪い。ただそういうときでも当直の学生は、トイレに行ってすぐに戻ってこなければいけない。そういった厳しい面もありますが、このような実践的教育を受けられる学生は幸せだなと感じました。PROFILE経歴東京商船大学着任当時の乗船実習の様子汐路丸実習での夕食準備(左奥が井関学長)井関学長の研究風景。実船計測データや模型実験データによって研究を行っている。国立大学法人 東京海洋大学VOYAGE 202103
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