ことになりました。ところが、本番があと三日にせまる頃になって、熱を出して寝込んでしまったんです。その時に、ひとりベッドの中で、なぜか劇団をやろう、演劇を仕事にしようと、決めました。うなされていたんだと思います(笑)。そうですね。役者をやったのは1年生の夏公演が最初で最後でした。そのときに、人前に出て泣いたりわめいたりするのは僕にはできないなと気づきました。もともと幼い頃から、自分が表に出て何かをするよりも、クラスの人気者に何かをやってもらったり、自分で遊びを編み出して誰かに楽しんでもらったりする方が好きな性格だったんです。将来の目標は国際的な式典の演出と言い出したのも同じくらいの時期です。そこから先は、いろいろなものを観たり、ワークショップ(※1)を開催したりしてたくさん勉強しました。演出家の定義って難しいし、自分でもピンと来ていなかったんです。そこで演出家の一番大きい仕事が何かを考えたとき、真っ先に思いついたのが、オリンピックやパラリンピックでした。自分の中で、いつかそこまでやったら、演出家と堂々と名乗ることができるんじゃないかな、と思ったんです。当初の演出トップは、同じ事務所の演出家・ケラリーノ・サンドロヴィッチさんでした。彼に声がけしてもらい、チームに加わることになったんです。でも、コロナ禍で2020年大会が延期となって、新しくチームを作り直すことになり、サンドロヴィッチさんが演出から離れて、僕がトップをやらせていただくことになりました。だし規模も大きいですが、やることは他の演出とそんなに違わないです。ただ、当たり前ですが、誰も開会式なんてやったことないですよね。わからないことだらけで、何度もやってみては間違っての繰り返しでした。その中で、全員がワンチームになって、くじけずに成功させようという熱い気持ちを持って挑んでいました。この開会式が多くの人にとって何か感じることのあるものだったのなら、関わった全員のその気持ちが伝わったのだと思います。開会式はいろいろな要素が絡んで複雑たくさんあります。頭の中に空想している舞台美術・人の動きや物語があるので、それを現実の世界に創り出したいです。それと同時に、他の人が考える世界を僕が現実にするということもあります。2.5次元(※2)の演劇のような原作があるものは、原作とその漫画を愛している人がいるなかで、共同幻想のようなものを創ります。自分の中にあるものだけだと限界があるので、外部から刺激をもらって自分の心の中にはまだこんな扉があるんだと気づくんです。自分の中にあるものと外からテーマを与えてもらうもの、今後もその両方に挑戦していきたいですね。神戸大学で出会った友人や得た知識・感覚は一生ついてまわると思います。高校時代には考えられなかったほどの自由があり、世の中にはいろいろな人がいるということを学びました。ここで過ごした時間なしには、僕は何も生み出せなかったでしょう。そう思えるほど豊かな学生生活が神戸大学にはあります。皆さんもぜひ楽しんでください!|演じることよりも脚本を書いて役者を動かすことの方が性に合っていたということでしょうか?|演出家を目指したときからオリンピック・パラリンピック開会式を意識していたのですね。|その夢が今年叶いましたね。どういった経緯で演出に関わることになったのですか?はの大変さはありましたか?ありますか?|パラリンピック開会式の演出ならで|今後やってみたい演出やステージは|最後に、神大生や高校生に向けてメッセージをお願いします。この画像はフォトグラファー/コレクション: Picture allianceゲッティイメージズから提供されています。神戸アートビレッジセンター(KAVC)舞台芸術プログラムディレクターとしての活動の様子30代の頃に演出家になろうと決めて、15インタビュアー 学生広報チームキラリ神大OG・OBキラリ神大OG・OB人文学科3年※1 参加者が専門家の助言を得ながら問題解決を図る研究集会。 ※2マンガやアニメなどの2次元コンテンツを舞台・ミュージカル化し、3次元で表現した作品。中尾満里奈法学部3年正中麻侑生文学部
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