神戸大学 大学案内
13/72

神戸高等商業学校の正門 1916(大正5)年頃神戸高等工業学校は昭和19年に神戸工業専門学校となる。工学部兵庫県立農科大学は昭和27年に兵庫県立兵庫農科大学となる。農学部神戸高等工業学校大正10年医学部・医学部附属病院神戸病院は、兵庫県立医学専門学校の設置に伴い同校の附属医院となる。兵庫県立医学専門学校は兵庫県立医科大学(昭和21年)、兵庫県立神戸医科大学(昭和27年)となる。海事科学部私立川崎商船学校大正6年川崎商船学校は大正9年に神戸高等商船学校に昇格。昭和20年に東京と清水(静岡県)にあった高等商船学校と統合されてその分校となり、同時に海技専門学院が設置された。昭和27年に神戸商船大学となる。神戸高等工業学校では、電気科と機械科とが共同で電気自動車の研究と開発を行っていた。同校の電気自動車は、1回の充電による走行距離が当時としては比較的長く(約90km)、しかも速力が速いことを特徴としており、1920年代半ばには試作車が時速約60kmで走行したとの記録が残っている。現在、ハイブリッド車など電気エネルギーを利用した自動車への評価が再び高まっていることを考えると、この当時の研究がいかに先駆的であったかが理解できよう。神戸病院には明治15年に神戸医学校が付設された(明治21年廃止)。東京大学医学部で最新の医学を修めた医師や外国人医師が教鞭をとり、主に地域医療を担う人材育成を行った。右は明治18年当時同校に在籍していた生徒がまとめた講義筆記ノートである。医学士杉田雄が口述した外科各論の講義が図入りで丁寧にまとめられており、当時の医学生の勤勉さを示している。兵庫県立農科大学昭和24年神戸病院明治2年兵庫県立医学専門学校昭和19年兵庫農科大学では、発展途上国の農業及び農業経営開発に取り組んでいた。その最初の取り組みが昭和32年のカンボジア農業学術調査である。栽培学と移民学を専門とする2人の助教授がオート三輪を駆使して3ヶ月に渡って現地調査を行い、動植物から民具に至るまで多数の標本を持ち帰った。標本はその後分担して研究され、2冊の調査報告書にまとめられた。神戸高等商船学校では、航海士と機関士の養成が行われ、実習用の帆船練習船(補助機関として蒸気レシプロエンジンを搭載)として、大正13年に進徳丸が就航した。進徳丸は学生を乗せて主に太平洋周辺の国々への遠洋航海実習に従事した。戦時中、帆装を解いて汽船となり石炭輸送に従事していた同船を悲劇が襲った。昭和20年7月に瀬戸内海で米軍の爆撃を受け座礁・炎上したのだ。戦後、進徳丸は大修理を経て再びよみがえり、航海訓練所の練習船として昭和38年まで現役を務めた。神戸大学海事科学部では、現在練習船深江丸が活躍している。神戸大学1949(昭和24)年当初【6学部】①文理学部文学部理学部②教育学部発達科学部③法 学 部④経済学部⑤経営学部⑥工 学 部教養課程⑦(御影分校)⑧(姫路分校)教養部国際文化学部医学部(医学部附属看護学校)(医学部保健学科)農学部海事科学部兵庫県立神戸医科大学1954(昭和29)1992(平成4)1992(平成4)1963(昭和38)1964(昭和39)1966(昭和41)1967(昭和42)1994(平成6)2003(平成15)海洋政策科学部2021(令和3)1952(昭和27)1952(昭和27)兵庫県立兵庫農科大学1959(昭和34)兵庫県立厚生女子専門学院1952(昭和27)神戸商船大学兵庫県立神戸医科大学附属病院1952(昭和27)1967(昭和42)医学部附属病院国際人間科学部2017(平成29)2021(令和3)年現在【10学部】(中略)1949(昭和24)神戸大学の正門 2020(令和2)年 現在神戸大学の正門 1954(昭和29)年頃神戸大学の正門 2020(令和2)年 現在神戸大学の正門 1954(昭和29)年頃神戸大学の正門 1954(昭和29)年頃神戸高等商業学校の正門 1916(大正5)年頃神戸高等商業学校の正門 1916(大正5)年頃神戸高等商業学校の正門 1916(大正5)年頃Kobe University11

元のページ  ../index.html#13

このブックを見る