神戸大学広報誌『風』 Vol.22
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9オープンゼミの様子び合ったりする場ですよね。啓蒙ではありませんし、「私たちが伝えていく」と言うと違和感があります。技術や知識があってもそれを活かし、実際に使っていくのは市民ですから。室崎 そう、市民自身が強くなることにつながらなければ安全な社会にはなりません。 また、幅広く他分野の意見を聞かないと、自分たちの立ち位置も分からない。外に伝えるだけでなく、外から学びたい。発信だけでなく、受信もする。双方向であることが大切です。―室崎名誉教授がオープンゼミを立ち上げられました。きっかけは。室崎 当時、自分たちの研究は学会発表や行政への報告を通じて市民に伝わっていると考えていました。しかし、阪神・淡路大震災でそういうルートでは市民に必要なことが伝わっていかないと痛感させられました。 地震が来ると言っておいてくれたら…と電話を受けたこともあります。科学的知識が市民に伝わっていなかった。多くの人が亡くなった、そこには我々の努力不足もあったと思いました。学内に閉じこもらず、もっと市民と積極的につながらなければ。その場として考えたのがオープンゼミです。北後 ゼミが始まって1年ほどたった頃に私は神戸大学に来たのですが、室崎先生自ら案内のハガキを書き、出されていたのを見て、一生懸命さ、その情熱に驚いたのを覚えています。室崎 一人でも来てもらえればと、たくさん出しましたね。震災の衝撃、伝え切れていなかった反省から使命感に燃えていました。―講義や講演ではなく、ゼミという形にこだわられていますね。室崎 当初は私自身が大学の講義のように話すことが多かったです。震災からの復旧をどう考えて行けばよいかなどを学生らが議論し、そこに市民も入る形でした。次第に地域の方が増え、ずっと来てくれる常連も出てきて、今ではほとんどが学外の方です。震災を受けて防災の現状にもどかしさを感じた行政の方も来られていました。その後、神戸市消防局とも協定を結び、市民、行政、大学で一つの場を共有しています。防災にかかわる人材の育成にもつながってきました。 フランクに自由な議論ができる場、一緒に考える場としてフラットな関係を重視し、(そのテーマについて)より知っている人が教えるように変わっていきましたね。北後 そうですね。学外の方が講師となっての報告も増えました。例えば、明石の歩道橋事故をテーマにした回では、遺族の方に講演して頂きました。とても良い内容だったと思います。近藤 ゼミってお互いが高め合ったり、学―室崎名誉教授の退官後、北後名誉教授に、そして近藤教授へとバトンがつながっていきました。北後 頼まれて引き継いだわけではなくて。考えが自然に共有されていたので、何も言われなくともごく当たり前にオープンゼミを続けました。近藤 私も頼まれた記憶はないですね。室崎 自分が辞めたら終わるのかなと思っていたのですが、今もしっかり続いている。驚きました。これはやはり来てくれる人がいるからに他なりません。北後先生、近藤先生と引き継がれ、体系化、システム化されていきました。“ゼミ”だからこそ…双方向の学び

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