化学科と化学専攻は、物理化学・有機化学・無機化学の三つの講座と構造解析化学・理論生物化学の二つの連携講座で構成されています。物理化学講座は分子の構造やダイナミクス、光エネルギー変換、固体表面の研究、有機化学講座は有機化合物の開発と合成および生命化学の研究、無機化学講座は溶液や固体がしめす物性の分子論的理解をめざした研究を展開しています。構造解析化学講座はSPring-8を利用した種々の結晶や生体分子、またはその集合体の構造解析、理論生物化学講座はスーパーコンピュータ「富岳」を利用した理論分子科学に基づくプログラム開発を進め、生命現象や太陽電池のしくみを原子レベルで解明しています。講座や学科をまたぐ研究協力を活発に進めていることも大きな特徴です。化学の特色である原子や分子の基本的な性質にとことんこだわるという化学の特色を活かしながら、化学以外の幅広い学問領域や技術分野の研究者と協力関係を築くことによって、他の研究機関がまねのできないような独創的な研究成果を数多く発信しています。このように、私たちは研究能力に秀でた少数精鋭集団として国内的にも国際的にも高い評価をうけています。有機合成実験林 昌彦 教授有機反応化学分野枝 和男 准教授物性物理化学分野「SDGsと化学合成―私たちの取り組み」 私たちが取り組んでいるのは「精密有機合成」です。有機化合物の多くは炭素、水素、酸素、窒素、リン、硫黄などわずか数種類の元素から成り立っています。それにもかかわらず、膨大な数の有機化合物が存在するのは「異性体」が存在するからです。異性体にも構造異性体、位置異性体、立体異性体などがあります。有機化合物の代表である医薬品を考えてみましょう。個々の医薬品は単一の化合物であり、そこに異性体が混在していては効き目が落ちるだけでなく、時には重篤な副反応を引き起こします。その最悪の禍の一つがサリドマイド事件です。これは不都合な異性体も併せて服用してしまったために起きた悲惨な事件です。したがって、立体化学を含め望む構造の化合物のみをつくることが必要です。それが「精密有機合成」と呼ばれるものです。望む化合物を作る際に不要な廃棄物や副生成物が生成しないように高選択的な反応を用います。SDGsの理念と一致します。その実現の鍵は化学反応を促進する「触媒」にあります。高活性かつ高選択的な触媒の設計と合成、そして反応への適用は人知の結集により達成されます。私たちのグループでは現在、二つの課題に取り組んでいます。一つは、有機分子の骨格となる炭素―炭素結合を形成する新しい方法の開発です。もう一つは酸化反応の開発です。どちらも先に述べたように単に反応を進行させるだけでなく、望む位置に、望む立体化学で生成物を得るためには新しい高活性かつ高選択的触媒の開発が必要不可欠です。私たちの開発した触媒を用いて、これまで医薬品をいくつか合成しました。具体的にはコレステロール低下剤スタチン類の一つフラバスタチン、抗インフルエンザ薬の一つタミフルの合成を行いました。前者は高選択的な炭素―炭素結合を用いて従来は10ステップ以上かけて合成していたものをわずか3段階で100%の選択性で合成できました。後者は選択的酸化反応を用いて合成しました。有機化合物は医薬品や農薬、香料と言ったライフサイエンスの分野だけでなく、近年は有機材料や伝導性プラスチックなどマテリアルサイエンスの分野でも注目を集めています。持続可能性社会の実現のためには、作る際はもちろん、生分解性ポリマーのように作った後も環境に負荷をかけない化合物が必要となります。SDGs実現のため、80億人もの人口が健康で文化的な生活を持続的に送るためにも有機合成化学者の果たすべき役割は今後ともますます重要となっていくと思います。「POMを用いた多電子移動反応を促進・触媒する物質の開発」 都市化の進展や社会の高度情報化などにより世界のエネルギー需要は増々高まっている。しかし、これまで世界のエネルギー需要を支えてきた化石燃料の資源量には限りがあり、現代社会が化石燃料の枯渇問題に直面していることはよく知られている。この問題を解決するため、太陽光などの再生可能エネルギーを効率的に利用する技術の開発が望まれている。多電子移動反応はエネルギーを効率的にエネルギーキャリアに転換・移行することを可能にする反応で、これらの反応を促進・触媒する物質を開発することは、持続可能なエネルギー社会の実現に多大な貢献をすることが期待される。 最近我々は、Keggin型ポリオキソメタレート(POM)などの閉殻構造(外骨格により完全に覆われた構造)をもつPOMが多電子・多プロトン移動反応の実用触媒の有望な候補であることを見出した。これらのPOMは前周期遷移金属Mのオキソ酸の縮合によって生成するナノサイズのアニオン性金属酸化物クラスターで、通常の酸触媒や酸化触媒として工業的に利用されるほど安定性な物質として知られる。これらはその中性の閉殻骨格内部に様々な原子(ヘテロ原子X)のテトラオキソアニオンを閉じ込めた構造をとり、ヘテロ原子の種類を変えることによってその物性を制御することができる。そして、これらは高い対称性をもち、等価な多数の付加サイトへ構造を壊すことなく電子やプロトンを付加することができる。我々の研究によるとKeggin型POMの場合、小さな正電荷で、イオンサイズが大きいカチオンをヘテロ原子とする時、4電子が一度に移動する多電子移動を発現することが示唆される。これは、(1)POM中のテトラオキソアニオンのヘテロ原子が小さな正電荷をもつ程、POMの電荷は負に大きくなり、塩基性が高まる結果、電子付加の際に共役的なプロトン付加を起こしやすくなる効果と(2)ヘテロ原子のイオンサイズが大きい程、テトラオキソアニオンの酸素原子が電子付加サイトである遷移金属原子に押し付けられる状況となり、その接近した酸素の電子吸引性のため遷移金属原子上の電子密度が下がり、電子付加が容易になる効果によるもので、この二つの効果が相乗的に起こるとき後発の電子付加が電位逆転を起こし、多電子移動が発現する。更に、骨格拡張した閉殻構造のPOMではより多くの電子が一度に移動する可能性がある上に、より広範囲にわたる軌道間の相互作用のため、触媒機能の向上も期待できる。我々は、多電子移動を促進・触媒する安定な物質の開発を目指し、そのような新規の閉殻構造POMの合成に取り組んでいる。研究の特色研究トピックス
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