國學院大學 2021 入学案内
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國學院大學の歩み明治大正昭和「国文学の父」とうたわれる文学者芳賀 矢一国学にドイツ文献学の方法を取り入れ、近代国文学研究の基礎を築いた。学長就任後、大学令による大学への昇格や、飯田町(飯田橋)から現在地となる渋谷への校地移転を果たした國學院中興の祖。國學院大學校歌の作詞者でもある。本学の維持・発展に貢献した教育者石川 岩吉日本倫理や国民道徳を講じ、國學院大學の運営実務にも携わる。東宮傅育官・皇子傅育官として上皇陛下等の御養育を担った。終戦直後の最も混迷した時期に國學院大學理事長・学長となって、その維持・発展に尽力した。18821875-19601867-1927國學院大學の母体「皇典講究所」創立。初代総裁は有栖川宮幟仁(たかひと)親王、場所は東京・麹町区飯田町(現・千代田区飯田橋)。9月1日、授業開始。11月4日、開校式。ここに本学は晴れの第一歩を記す。「皇典講究所」創立1923学生数も増え、大規模な学園拡充計画を5年前から進め、5月には渋谷氷川裏御料地(現在地)に新校舎が完成し、飯田町から移転。6月、授業を開始。以後、昭和10年代にかけて本学は発展の一途をたどる。渋谷氷川裏御料地に新校舎完成日本文学や古典芸能を民俗学的に研究折口 信夫幼年期から詩歌・歌舞伎などに親しみ、國學院大學在学中は三矢重松に師事した。その後、柳田國男の高弟となって民俗学を志し、その学風は国学に民俗学の研究法を合わせて、古代から現代に至る日本人の心の伝承を捉えようとするものであった。1887-19531977幼稚園教員養成所(各種学校)を幼児教育専門学校(専修学校)に改組1970大学院経済学研究科博士課程を開設1969大学院法学研究科博士課程を開設、國學院幼稚園を開設1968大学院経済学研究科修士課程を開設1967大学院法学研究科修士課程、文学部第二部神道学科を開設・八王子校舎にて授業開始1966経済学部第一部・第二部を開設、1965法学部第二部を開設1963法学部第一部を開設1960栃木高等学校を開設(昭和38年姉妹法人として独立)1958久我山分校での授業撤退、神道専修科を神道専攻科に改む、蓼科寮を開設1955幼稚園教員養成所を開設、日本文化研究所を設置1954附属幼稚園を開設1953旧制第二部文学部を廃止、目白分校での授業撤退、大学院文学研究科博士課程を開設、久我山分校で授業開始1952久我山学園(久我山高等学校・久我山中学校)を合併1951学校法人國學院大學に改む、旧制学部第一部・専門部を廃止、政経学部第二部を開設、大学院文学研究科修士課程を開設、文学部神道研修別科を開設1950政治学部を政経学部に拡充1949新制文学部第二部を開設、目白分校にて授業開始、政治学部を設置1948新制文学部を開設、國學院高等学校を開設、目白学園を合併1947学部第二部を開設1946皇典講究所の解散、財団法人國學院大學を設立1923渋谷氷川裏御料地に移転1920「大学令」による大学に昇格1919國學院大學と改称1906私立國學院大學と改称1904「専門学校令」による専門学校に昇格1890皇典講究所に國學院を設置1882皇典講究所の創設(千代田区飯田橋)政経学部第一部・第二部を廃止012

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