國學院大學 入試情報ガイドブック 2022
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略)同十九年七月己未日、みかど思ところありとの給て、前東宮早良親王を崇道天皇と申。又井上内親王を皇太后とすべきよしおほせられき。をのをのおはしまさぬあとにも、うらみの御心をしづめたてまつらんとおぼしけるにこそ侍めれ。B. 十一月に中務卿伊予親王みかどをかたぶけたてまつらむとはかりたてまつるといふこときこえて、母の夫人ともにかはらでらのきたなりしところにこめられ給へりしに、みづからどくをくひてうせ給にき。その親王管弦のかたすぐれ給へりき。そのゝち世の中心ちをこりて、大嘗会とゞまりにき。C. 中納言種継のむすめに内しのかみと申し人をおぼしめしき。そのせうとの右兵衛督仲成心おちゐずして、いもうとの威をかりて、さまゞゝのよこざまの事をのみせしかども、世の人はゞかりをなしてとかくいはざりき。(中略)九月に内しのかみ太上天皇をすゝめたてまつりて、位にかへりつきて、われさきにたゝむといふこといできて、世中しづかならずさゞめきあへりしほどに、みかど内しのかみのつかさ位をとり給。仲成を土左国へながしつかはすよし宣旨をくださせ給しに、太上天皇おほきにいかりたまひて、十日丁未畿内のつはものをめしあつめ給しかば、みかど関をかためしめ給て、田村麿の中納言の大将と申しをにはかに大納言になし給てき。(中略)さて十一日に太上天皇いくさをゝこして内しのかみとひとつ御こしにたてまつりて、東国のかたへむかひ給しに、大外記上毛頴人ならよりはせまいりて、太上天皇すでに諸国のいくさをめしあつめて、東国へいり給ぬとみかどに申しかば、大納言田村麿、宰相綿麻呂をつかはして、そのみちをさいぎりて、仲成をいころしてき。D. 同(承和)九年七月十五日に嵯峨法皇うせさせ給にき。当代の御ちゝにおはします。十七日平城天皇の御子に阿保親王と申し人、嵯峨のおほきさきの御もとへ御せうそくをたてまつりて申給やう。東宮のたちはきこはみねと申ものまうできて、太上法皇すでにうせさせ給ぬ。世中のみだれいでき侍なんず。東宮を東国へわたしたてまつらんと申よしをつげ申たまひしかば、忠仁公の中納言と申ておはせしを、きさきよび申させ給て、阿保親王の文をみかどにたてまつり給き。この事こはみねと但馬権守橘逸勢とはかれりける事にて、東宮はしり給はざりけり。廿四日に事あらはれて、廿五日に但馬権守を伊豆国へつかはし、こはみねをおきへつかはす。又中納言よし野、宰相あきつなどながされにき。此但馬権守と申は、よの人きせいとぞ申す神になりておはすめり。東宮おそりをぢ給て、太子をのがれんと申給しかば、みかどこのことはこはみねひとりが思たちつる事也。東宮の御あやまりにあらず。とかくおぼすことなかれとて、たゞもとのやうにておはしまさせき。東宮と申すは淳和天皇の御子也。みかどには御いとこにておはしましゝ也。ことし十六にぞなり給し。(注) (1) 東宮 皇太子   (2) こゝち 病気   (3) 心ち (注2)に同じ   (4) 内しのかみ 尚侍   (5) 嵯峨のおほきさき 橘嘉智子   (6) 忠仁公 藤原良房(の諡号)   (7) よし野 藤原吉野   (8) あきつ 文室秋津問題3  次の文章A・Bは、江戸幕府の政治・財政再建に関する文章の一部である。この文章A・Bの概要を背景にある幕府の政策に留意して全体で四〇〇字程度にまとめ、著者の思想的立場を踏まえて、あなたの考えを二〇〇字程度にまとめなさい。(全体で六〇〇字を超えないこと。)A近江守に議らしむるに、前代の御時、歳ごとに其出る所の入る所に倍増して、国財すでにつまづきしを以て、元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。これより此かた、歳々に収められし所の公利、総計金凡ソ五百万両、これを以てつねにその足らざる所を補ひし(中略)かさねて又近江守が申せしは、「初メ金銀の製改造られしより此かた、世の人私に議し申す事どもありといへども、もし此事によらずむば、十三年がほど、なにをもてか国用をばつがれ候べき。殊にはまた癸未の冬のごとき、此事によらずむば、いかむぞ其急難をば救はせ給ふべき。されば、まづ此事を以て当時の用を足され、これより後、年穀も豊かに国財も余りある時に及び、金銀の製むかしに復されん事は、いとやすき御事にこそあるべけれ」と申す。皆々申す所もまたこれに同じく、「天下の事変はかるべからず。今の事のごとくならむには、もし此後おもはざる外の事出来ん時、なにをもてか其変には処すべき。たゞ彼ノ議にしたがふにしくべからず」といふ也。我(新井白石)これに答ふるは、「近江守が申す所も、其いはれあるに似たれども、はじめ金銀の製を改造らるゝごときの事なからむには、天地の災も並び至る事なからむもしるべからず。もしこれより後おもはざる外の事ども出来らん時、其変に処すべき謀窮りなむには、我身にあたりて、神祖の大統たえ給ふべき時至れる也。いかむぞ、我また天下人民の怨苦をば致すべき。たゞいかにも他事を以てはからひ申すべし」といひたり。(新井白石『折りたく柴の記』より)B御当家ニ於テ、諸大名ヲ御城下ニ聚メ置カセラルルコト、是東照宮ノ神慮ヨリ起リ、乱ヲ制スル扣綱也。去ドモ上下此ノ如クノ困窮シタル其果ハ、諸大名働ク力モ無ナリテ、其困窮真実ニシテ、偽リナクンバ、自ラ参勤ヲ免ゼズシテ叶ハザルコトニ成ベシ。参勤ヲ免レタルトモ、上ノ御威光ニテ当分ハ何事モ有マジケレドモ、是法ノ敗ルヽ所ナレバ、至極重キ法サヘ破ルヽ上ハ、何ゴトモ埒モナゲニ成テ、果ハ言語道断ニ成ルベキ也。去バ其困窮ヲ救フ道ハ如何ニト言ニ、愚ナル輩ハ唯上ノ御救々々ト計リ言テ、金銀等ヲ賜ルヲ御救ト思ヒ居レドモ、御蔵ノ金ヲ悉ク御出払ヒアリテ御救ヒナサレテモ、又跡ヨリ元ノ如ク成ベシ。去バ上ノ御力ニモ及バザル所ナラン。唯神仏ナドノ力ニテ如意宝珠トヤランヲ虚空ヨリ降シタランニハ、上下万民ノ望ニモ叶フベケレドモ、夫ハ仏法ノ譬喩ノ説言ニテ、先当世ニ間ニ合ヌ事也。然バ仏神ノ力ニモ上ノ御力ニモ叶ハザルコトナレバ、詮方モナキトテ其侭ニ指置ベキカ。総ジテ天下国家ヲ治ル道ハ、古ノ聖人ノ道ニシクハナシ。古ノ聖人尭・舜・禹・湯・文・武・周公ハ、天下ヲ能治メ玉ヒテ、其道ヲ後世ニ遺シ玉フ。其道ニ依ラズシテ、是ヲ救フ道ヲシルベキ様ナシ。此道ヲ伝へ玉ヘルハ孔子ニシテ、其孔子ノ御辞ニ「恵シテ費サズ」ト言コトアリ。夫ハ一銭ヲ費ズシテ下ノ恵トナルコトアリ。(中略)古ノ聖人ノ法ノ大綱ハ、上下万民ヲ皆土ニ在着ケテ、其上ニ礼法ノ制度ヲ立ルコト、是治ノ大綱也。(荻生徂徠『政談』より)(注) 〇近江守― 荻原重秀のこと。○世の人私に議し申す事どもありといへども― 世間の人は、蔭でとかくの批評をしていることがあるが。○癸未の冬のごとき― 元禄一六年に起きた大地震のこと。○当時の用を足され― さしあたっての必要をみたし。○天下の事変はかるべからず― 天下の変事はいつ起こるかわからない。○我身にあたりて、神祖の大統たえ給ふべき時至れる也― 私の時代において家康公以来の大きな系統が絶えてしまわれる時が来る。○たゞいかにも他事を以てはからひ申すべし― ただどうでも他の方法で処理すべきだ。○御当家― 徳川家。   ○東照宮― 徳川家康。○扣綱― 立てた物が傾いたり倒れたりするのを防ぐために引っ張っておく綱。○如意宝珠― 何でも願いがかなう球。  ○譬喩― たとえ。はかとしもっあらためつくとしどしこのことかえいたおおよひそかいできたらはかりごときはまそのいずい(5)(6)(7)(8)(3)(4)あつひかへつなゆるさヤブそれひそかひかへつなヨクたまらちされはてこれ過去問題 公募制自己推薦(AO型)29

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