國學院大學 入試情報ガイドブック 2022
32/40

陥れるリスクも発生する。だから教育のあり方は、日本社会の将来を占うものとなるのである。(中澤 渉『日本の公教育』より引用)(注) 文章中の小見出しは省略している。問1  日本の学校組織において教師はどのような役割を担い、どのような課題を抱えていますか。筆者の考えを300文字程度で説明しなさい。問2  子どもの徤やかな育ちを保障するため、学校はどのような場であることが望ましいと考えますか。筆者の考える学校の社会的機能を踏まえ、あなたの考えを700文字程度で論じなさい。拘束や過剰な練習につながりやすい。教育活動に限らず、日本の組織で非合理的と思える精神論が跋扈するのは、組織集団のこうした性質が反映されている。児童生徒にとっても、日本の学校組織は一長一短だ。部活動や班活動を通して、得られるものもあるだろう。一方で、このような活動は、仲間外れやいじめの温床にもなりうる。森田洋司によれば、海外のいじめでは肉体的な暴力が問題にされ、またして年齢が上昇すると減少する傾向にあるのに対し、日本では「シカト」「無視」がクローズアップされ、また中学生あたりがいじめのピークとなるという。これは日本の学校で集団主義的な活動や、メンバーシップ型の社会を反映した教育活動が重視されていることと無関係ではない。 メンバーの中で、うまくできない子がいれば、もちろん助け合いの精神を学ぶこともできるが、常にそうなるわけではない。足を引っ張るからと、嫌がらせを受けることもあるだろう。またメンバーシップや班活動重視の学校で、シカトされることは精神的に強いショックを与えるはずだ。 グローバル化に伴い、海外(特にアメリカやイギリスなど)の教育改革を、日本にも導入する動きがあるが、教育制度や周辺社会環境が日本とは異なっているので、海外同様の効果は必ずしも期待できないのだ。形だけ海外の試みを導入しても、深刻な副作用が起きたり、最悪の場合、改革導入前に見られたメリットも失われ、改革がただの「改悪」になる可能性もある。海外の事例を参考にするならば、やはり学校の社会的位置づけの日本との違いを明確にし、日本のコンテクストに合わせなければ意味がない。 また教師の多忙化を指摘すると、「忙しいのは教師だけではない」などという反応が返ってくることもある。それは事実だろうが、そう反応して世の中がよくなるか考えてみてほしい。そこまで多忙で余裕のない状況に追い込んで、日本経済は最良のパフォーマンスを生み出しているといえるのか。むしろより悪い労働環境へ足を引っ張り合い、お互いが不幸になっていないだろうか。 インターネットの発達などもあり、単に知識を得るだけならば、学校に通う必要性はほとんどない。しかし今の日本で、学校制度自体を廃止せよと思う人は、おそらくほとんどいないだろう。では公教育、特に学校教育制度がなぜ必要なのか、その社会的機能について改めて考えてみるべきだ。なぜ私たちは、わざわざ学校という場に行かねばならないのか。 私たちが生きている以上、社会に出れば他者とかかわる。その訓練の場が学校だという考え方はありうる。確かに情報は溢れているが、知識や技能の獲得も、自分一人でメディア視聽するだけではなく、他者と一緒に活動するとか、ディスカッションすることで理解を深めることも可能だろう。 学校は、同一年齢集団という理由だけで、人々が人為的に集められた不自然な空間である。しかし、そうした人為集団であるがゆえ、価値観も異なる多様な人々と交わり、そこで他者との信頼関係を構築したり、共感や協力をしあったりすることで、一つの社会空間が成立できる。学校は、そうした社会空間構築の練習の場ともいえる。 また個人化が進んだ現代社会では、プライバシー観念の浸透により、個別の事情は見えにくくなっている。未成年の子どもは保護者の庇護にあることが建前だが、実際には子どもたち皆がしっかり守られているわけではなく、保護者との関係などによっては、社会のセイフティ・ネットから漏れるリスクも出る。子どもがそのセイフティ・ネットから脱落した場合、人道上重大な問題となるし、社会に再度加わるチャンスを自力で得るのは非常に困難だ。子どもたちを前途ある存在として、社会が彼ら彼女らを包攝することが必要であろう。 学校は、そうした包攝(インクルージョン)の場として存在しうるし、実際にその役割を引き受けるのが現実的である。仮に、子どもたちがプライベートで不利を被っていたとしても、社会として包攝し、掬い上げることは、その子もこの社会のメンバーと認めているという意思表示になる。こうすることで、彼ら彼女らも将来社会の一員として貢献してくれるだろう。 教育を受けない人々を放置しておくことは、それだけ社会の仕組みや基本的な知識・技能を理解しない人をそのままにしておくことを意味する。そうなれば、まともな政策決定の議論が成立せず、社会全体を混乱に問一 (神道特別選考受験者のみ解答すること)① 今年は新型コロナウイルスが日本に大きな影響を及ぼした。この影響により起きたさまざまな問題の中で、あなたが関心を持ったものを二〇〇字程度で紹介しなさい。② 氏子・崇敬者とともに神社を守り、地域・社会に貢献する立場にある神職になったつもりで、①で紹介した問題を解決するために自分ができると考える行動を、できると考える具体的な理由を含めて、八〇〇字程度で説明しなさい。注意  インターネット上のコンテンツや文献等の参照は妨げないが、その文章は丸写しせず、自分で要約した上で解答しなさい。また、参照したサイトのアドレスや文献名等は、参照の程度にかかわらず、参考文献欄に記入しなさい。問二 (宗教特別選考受験者のみ解答すること)  次の文章は今から約四十年前に書かれたものである。これを読み、要旨を二〇〇字程度にまとめた上で、現代の正月について、自分の意見を述べなさい。(全体で一〇〇〇字程度) 私たちは明治期に輸入されたグレゴリオ暦つまり新暦を通常用いて生活している。部屋にかけてあるカレンダーがそれである。私たちはその最初の月つまり一月を「正月」そしてカレンダーの一番最初の日を「元旦」と呼びならわしてきた。 正月や元旦という言葉それ自体にすでにこの月やこの日が特別の月であり日であるということが語られているわけであるが、そうした観念がいつ頃から発生したのかはよくわからない。しかし、人びとが自然界の変化に一定のリズムと反復を見出し、“時”という概念を作り上げ、そしてその時の流れに刻み目をつけて“日”とか“月”とか“年”という概念を編み上げたときに、正月や元旦についての素朴なイメージが出来上がったと考えてよいであろう。つまり、人びとは自然界の中に“暦”を見出し、しだいにそれを自然から切り離していって抽象的な時間観・暦観を作り出したのである。 時間認識もしくは一年のサイクルについての認識は、社会によって異なるが、大別して、円環的時間と直進的もしくは螺旋状的時間の二つに区分されている。前者はアナログ式の時計のように、同じことの反復とし令和3年度 神道・宗教特別選考[Ⅰ期]第2次選考ひ ごすくもりたばっこようじ過去問題 公募制自己推薦(AO型)/神道・宗教特別選考﹇Ⅰ期﹈31

元のページ  ../index.html#32

このブックを見る