國學院大學 入試情報ガイドブック 2022
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令和3年度 学士入学・一般編入学て、時間や一年を理解する仕方である。これに対して、この一瞬、この日、この年はたった一度しかなく再び戻ってくることはないとする見方が後者である。前者の考え方に立つと、元旦から大晦日までの日を通過すると、またもとの元旦に立ち戻ってしまう。ところが、後者の考えでは、大晦日の次の日の元旦は、もとの元旦ではなく新しい年の新しい元旦なのである。古い正月、古い年は永遠に去り、まったく未知の新しい年、新しい正月が訪れてくるのである。日本人の時間認識は、もちろん、後者に属する。 理論的にいえば、一年という節目は、どこにつけてもかまわない。これまでの四月一日を今年から正月元旦とすることも可能なのである。 問題は年の境目をどこにするのかという点にあるのではなく、人びとがそうした暦を受け容れ、生活のリズムをその暦にどれだけ適合させるかということにある。実際、明治になって政府が新暦を採用して国民にそれを押しつけたときも、農村では旧暦(陰暦)を長い間守り続け、正月もそれに従って行なっていた。農村でも新暦による正月が行なわれるようになったのは、それほど昔のことではないのである。 すなわち、現在行なわれている正月行事や新春の街の光景、年越しの観念は、明治政府が新暦を採用して以来、それをたんに暦の上での古い年から新しい年への移行時というだけですまさず、さまざまな階層の人びとやさまざまな職業についている人びとが、彼らの生活のリズムをそれに合わせるよう努力を積み重ねた結果として生み出されたものなのだということが重要なのである。その過程でそれまでの正月の習俗の構成要素の取捨選択や修正、さらに新しい正月の習俗の創造がなされたわけである。 このように考えると、現代の正月は新暦の採用からおよそ百年経って、ようやく暦の上の正月ではなく、人びとの、とくに都市化した生活をする人びとの生活のリズムに、それなりに合った正月になることができたといえるかもしれない。 現代の日本人は、年の暮れが迫ると、現代ふうの仕方で自分たちに年の終りを意識させ体感させるための工夫を知らず知らずのうちに行なっている。(小松和彦『新編・鬼の玉手箱』より) 唐土の帝、この国の帝を⒡いかで謀りて、この国打ち取らむとて、常に⒢試み事をし、あらがひ事をして、⒣恐りたまひけるに、つやつやと丸にうつくしげに削りたる木の二尺ばかりあるを、「これが本末いづ方」と問ひに奉れたるに、すべて知るべきやうなければ、帝おぼしわづらひたるに、いとほしくて、親のもとに行きて、「かうかうの事なむある」と言へば、「ただ早からむ川に、立ちながら横さまに投げ入れて、返りて流れむ方を末と記して遣はせ」と教ふ。参りて、我知り顔に、「さて試みはべらむ」とて、人と具して投げ入れたるに、先にして行く方に、印をつけて遣はしたれば、まことにさなりけり。 また、二尺ばかりなる蛇の、ただ同じ長さなるを、「これはいづれか、男、女」とて奉れり。また、さらに人え見知らず。例の中将来て問へば、「二つを並べて、尾の方に細きすばえをしてさし寄せむに、尾はたらかざらむを、女と知れ」と言ひける。やがてそれは、内裏のうちにてさしけるに、まことに一つは動かず、一つは動かしければ、また、さる印をつけて遣はしけり。 ほど久しくて、七曲にわだかまりたる玉の、中通りて、左右に口あきたるが、小さきを奉りて、「これに緒通して賜はらむ。この国にみなしはべることなり」とて、奉りたるに、「いみじからむ物の上手、不用なり」と、そこらの上達部、殿上人、世にありとある人言ふに、また行きて、「かくなむ」と言へば、「大きなる蟻を捕らへて、二つばかりが腰に細き糸をつけて、また、それにいま少し太きをつけて、あなたの口に蜜を塗りてみよ」と言ひければ、さ申して、蟻を入れたるに、蜜の香をかぎて、まことにいととく、あなたの口より出でにけり。さて、その糸の貫かれたるを遣はしてける後になむ、「なほ日本の国はかしこかりけり」とて、後にはさる事もせざりける。 この中将をいみじき人におぼしめして、「なにわざをし、いかなる官、位をか賜ふべき」と仰せられければ、「さらに官もかうぶりも賜はらじ。ただ老いたる父母の隠れ失せてはべる、尋ねて、都に住ますることを許させたまへ」と申しければ、「⒤いみじうやすきこと」とて、許されければ、よろづの人の親これを聞きて喜ぶこといみじかりけり。中将は、上達部、大臣に⒥なさせたまひてなむありける。(『枕草子』)(注) ○すばえ― 枝。   ○七曲にわだかまりたる― くねくね曲がっている。問一 傍線部⒜・⒞・⒡を現代語訳しなさい。問二 傍線部⒝「さる者」とはどのような者か、記しなさい。問三 傍線部⒟はどのようなことを述べているのか、記しなさい。問四 傍線部⒠の箇所は、他の写本には「上達部などにやありけむ」とある。どのように意味が変わるか、記しなさい。問五 傍線部⒢について、本文中で挙げられている具体例に対して、「この国」はどのように対応したか。その具体例と解決方法をすべて挙げ、二百五十字以内で説明しなさい。問六 傍線部⒣の箇所は、他の写本には「送りたまひけるに」とある。その場合、敬意の主体が変わるが、それによって敬語の用法の上でどのようなことが問題となるか、記しなさい。問七 傍線部⒤の指す内容を二十字以内で説明しなさい。問八 傍線部⒥を品詞分解し、各語について文法的な説明をしなさい。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 昔おはしましける帝の、⒜ただ若き人をのみおぼしめして、四十になりぬるをば失はせたまひければ、人の国の遠きに行き隠れなどして、さらに都のうちに⒝さる者のなかりけるに、中将なりける人の、いみじう時の人にて心などもかしこかりけるが、七十近き親二人を持たるに、「かう四十をだに制することに、まいて恐ろし」と怖ぢ騒ぐに、いみじく孝なる人にて、遠き所に住ませじ、一日に一度⒞見ではえあるまじとて、みそかに家のうちの土を掘りて、そのうちに屋を立てて、籠め据ゑて、行きつつ見る。人にも、公にも、失せ隠れにたるよしを知らせてあり。 などか。⒟家に入りゐたらむ人をば知らでもおはせかし。うたてありける世にこそ。この親は⒠上達部などにはあらぬにやありけむ、中将などを子にて持たりけるは。心いとかしこう、よろづの事知りたりければ、この中将も若けれど、いと聞こえあり、至りかしこくして、時の人におぼすなりけり。みかどももろこしまろだい りをいつかさななわだくちなは、 、、 、過去問題 神道・宗教特別選考﹇Ⅰ期﹈/学士入学・一般編入学KOKUGAKUIN UNIV. 32

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