國學院大學 入試情報ガイドブック 2022
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問  次の文章は、神崎宣武『神主と村の民俗誌』の一節である。この内容を四〇〇字程度で要約し、そのうえで、年齢と信仰との関係について、あなたの考えを述べなさい。(全体で八〇〇字以上、一〇〇〇字以内にまとめること。) それは、高村淳という一人の氏子の提案によるものだった。 高村さんは、大正六年生まれ。そのころ、たしか六十一歳であった。食料品や雑貨、プロパンガスを商っている。 秋祭り(氏神の例大祭)が終った次の日、高村さんが私の家を訪ねてきた。父は所用があって留守だったので、母と私が話の相手をすることになった。 その話の内容は、いまでもはっきりと覚えている。高村さんの生家は、私の家と同じ組内にあり、高村さんは、私の子どものころをよく知っている人なので、いかにも懐かしそうにやさしい口調で話しかけるのであった。 「祭りが終ったばあでいうのも何ですけえど、もう正月がすぐですらあなあ。 いや、じつは大先生(父)やお母さんには前に話したことがあるんですが、正月に神楽をすりゃあええ、と思うとるんですらあ。 このごろ、あれだけ夜中のお参りが増えとるんですけえ、何か愛想があってええように思うんですらあ。幣殿でご祈禱の太鼓が鳴っとりますんで、そりゃあありがたいことですけえど、境内が寂しすぎるように思います。総代さんがせっかく社務所の前で御神酒と御神飯を授けられとっても、なかなか気楽にはそこまで行けませんしなあ。見とると、賽銭をあげて柏手を打って、それだけで引きかえす人が多いんですらあ。去年も、安達の績ちゃんと斎灯(かがり火)にあたりながら話したんですが、せっかく皆が集まるんですけえ、もうちょっと華やかな楽しみ方があってええじゃろう、ということになりまして……。 神楽でもしたら皆が楽しめる、ということになったんです。いや、いや、丸ごと本職の神楽太夫さんを頼もうというんじゃあないんです。氏子が舞うてみたらどうかと思うとるんですらあ。 氏子いうても、ご存知のように、本職もおってですけえなあ。安達の績ちゃん、藤江の芳郎さん。それから、若手では窪の儀ちゃん、床屋の茂ちゃんも、ときどき神楽社中に欠員ができたとき頼まれて舞いに行くようになったらしい。となりますと、本職、セミプロで四人もおってんですけえ、あとはわれわれ下手な横好きの素人が何人かからませてもらえりゃあ、氏子だけで何とか舞えそうなんですらあ。はい、じつは夏ごろから績ちゃんを先生に頼みまして、毎週水曜日に八幡様で同好会の神楽講座を開かせてもろうとるわけでして……。まあ、まだ習いはじめですけえ十分なことはできませんが、私と、加賀の照ちゃんと、昭さんと、山下の塗装屋と、いまのところ四人が正月までに間にあうようにと特訓中なんでして……」(中略) それにしても、高村さんは熱心である。 自らが発起して神楽同好会を組織し、元旦祭に氏子による神楽の奉納を行事化することに奔走した。神社からその費用がでないことを承知で、衣装代(借用料)も賄い料(楽屋での夜食代)も自前の覚悟であった。 そればかりか、神楽を奉納する話をもちだす前年から、甘酒の寄進をはじめていた。深夜の参拝者にふるまってほしい、というのである。以後、毎年それが続いている。そして、祭りという祭りには、「初穂料」を奉納する。熱心というか、信心深いというか、それが他の氏子よりもきわだっているのである。 しかし、私が知るかぎりでも、かつての高村さんは、そうではなかった。むしろ、戦後の進歩人とでもいうべき人たちが共通してそうであったように、無信心を装う風の人であった。 高村さんの内部で、何かがかわってきたのである。 そのあたりになると、ことのほか母が詳しい。 「高村さんだけじゃあない。あの戦争(第二次世界大戦)の後は、いっとき混乱をしとった。 農家の農業は変わらず続いたが、農地改革で農地を手放す人もあった。いちばん変わったのは、とくに若い人たちを中心に古くさい習慣が嫌われたこと。学校でも若い先生たちが、武運長久を神頼みして戦争に勝てるはずがない、などという。青年団の人たちも、祭りなどへの子どもたちの参加は止めにしよう、祭りの晩には神楽よりも映画を呼ぼう、といいだす。年寄りたちは、それを苦々しく思う人もあったが、面と向かっての喧嘩はできん。高村さんなんかは中堅どころじゃったが、そんな時流のなかでは自分から旗を振ってまで出しゃばることができなんだんじゃろうな。 それでも、根がまじめな人じゃから、商売に励んで、商工会なんかの関係では顔が売れだした。ところが、また不幸があった。そうです、奥さんがくも膜下出血で倒れてしまわれた。一命はとりとめたが、それから高村さんの毎日の苦労がはじまる。食事の世話から、風呂から下の世話まで、時どきのぞいてみてあげただけでもようできたもんじゃ、と感心した。二人きりじゃから、というても、たとえばウチのお父ちゃんやなんかにはとてもまねができんじゃろう。女の人でも、ちょっとまねができん。仕事も一人前にしながら十年間もじゃもん……。いまは、奥さんは、店番ができる程度に回復したから不幸中の幸いじゃったけど……。 それでも、とくに奥さんが病気になってから、高村さんの顔つきがかわってきた。ふつうああなると、いらついて陰気で険しい顔つきになるもんじゃが、あの人の場合は違うとった。逆に、明るく穏やかな顔つきになった。きっと、自分で悟っちゃったんじゃろうな。 自分のことで精いっぱいのはずなのに、他人の世話がまたようできだした。それじゃから、皆が高村のおじいさん、高村のおじいさん、というて頼みごとをする。子どもがおらんのじゃもん、他人の家庭をのぞけば寂しいこともあるじゃろう、と思う。それを、あの人は、ひがむことをしない。苦労して、人間がまるうなった……」 母は、そうだから神仏に対しても自然に敬虔になれるのだろう、という。(神崎宣武『神主と村の民俗誌』講談社、二〇一九年より)さいせんお み きごつくうさいとうくぼプ ロいさひ としもまくかけいけん過去問題 学士入学・一般編入学は安楽死問題をめぐる日本の現状についてどのように考えるか。安楽死を肯定する立場の問題点と否定する立場の問題点を踏まえ、そのうえであなた自身の見解を述べよ。B  2020年2月より、日本の旅券(パスポート)の査証頁のデザインに、葛飾北斎画「冨嶽三十六景」シリーズが使用されるようになった(10年用に24作品、5年用に16作品を採用)。外務省はその理由のひとつに「偽造防止能力を高める」点を挙げているが、1866年に日本初のパスポートが発行されて以来、いわゆる芸術作品を使用するのは初めての試みだという。いわば現代日本の「顔」ともなるパスポートの図案を選定する際に、近現代の作例ではなく、なぜ190年前の浮世絵に注目し、かつこのシリーズを選んだのかという点について、あるいはそのことに象徴される、現代のアートシーンに継承される「日本」のイメージの在り方について、自身が考えることを自由に述べよ。問2 次の項目のうち、2つを選び、それぞれ120~200字で説明しなさい。 ⑴ 洞窟の比喩 ⑵ 梵我一如 ⑶ ゴシック式建築 ⑷ コギト・エルゴ・スム ⑸ 身体の両義性(アンビギュイテ) ⑹ キッチュKOKUGAKUIN UNIV. 34

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