KOKUGAKUIN UNIV. 016取材ノート、レコーダーは必需品近著の新型コロナワクチン開発者のドキュメントだったんです。面接で机の上に置かれた報道原稿を訳もわからず読まされて、なんと一次試験を通過、しかし最終の二次試験で不合格となりました。ただそこで話は終わりませんでした。三日後にNHKから電話が来たんです。「学校のお仕事は辞めなくてよいので、リポーターやりませんか」と。合格した方が辞退され、次点の私にお鉢が回ってきたんです。ここで断ったら人生は変わらない。教師とリポーター、二足のわらじ生活のスタートでした。史学科在籍時の恩師や仲間と なぜ、教師を続けられたのですか?リポーターとして初めてインタビュー取材をして、録音をして、リポートを作ってという経験をした際に、世の中にはこんなに面白い仕事があるのか、と思ったんです。同時に、優れた技術をお持ちの方や、どんな苦労をしてもあきらめない方々を取材する中で、自分が他者ときちんと対話をできていなかったことに気付かされました。そこから生徒たちとの接し方も変わり、一人ひとりと向き合い、どう話せば伝わるかということを考えられるようになって、教師を辞めたいとは思わなくなりました。生徒たちからは学ぶこと、教えられることばかり。気がつけば27年間続けていましたね。 ラジオのリポーターから今のお仕事へは、どのようにつながっていくのでしょうか?NHK横浜放送局ではラジオのリポーターから始まり、テレビの報道番組のリポートにも携わりました。当時は自分の提案した企画が若い下っ端の女性というだけで横取りされるというパワハラも日常茶飯事で、文字通り血反吐を吐くほど大変な3年間でした。その後、ストレスで体調を崩し、1年間リポーターの仕事を休みましたが、ご縁があって東京のNHK放送センターで報道の仕事をすることになりました。取材・リポートだけでなく、ロケや編集作業など全てをこなすディレクター業務まで経験しました。そうした10年で「ジャーナリストの増田ユリヤ」が形作られてきたのだと思います。 取材の際に大事にされていることを教えてください。「現場主義」が第一です。これは國學院大學で学んだ「実証主義」が非常に活きています。物事を徹底的に見て、余計なことは脚色せず事実のみを抽出する。もちろん手元の事実から仮説を立てることも大事ですが、思い込みを外して取材した事実のみを集め、一つの考えに組み立てる手法は、史学科在籍時代に鈴木靖民先生より厳しくご指導いただきました。先生に勧められて1・2年生の時に所属していた日本史研究会で、お昼も食べずに『続日本紀』の講読をしたことは今でも鮮明に覚えています。他にも、加藤有次先生がご担当されていた博物館学で行った北海道実習旅行も印象に残っていますね。アイヌの文化に触れて当事者の話を聞くことで、アイヌが差別されていた、という教科書の一文が「事実」として腑に落ちる感覚を味わいました。フランス、カレー難民キャンプの取材にて 今後、挑戦していきたいことは何ですか?コロナ禍が落ち着いたら、やはり海外取材を再開したいです。メディアが報じることと、実際に現場に行って感じることの間には大なり小なりズレがあります。現在はコロナ禍の影響やメディアの多様化があり、池上彰さんとYouTubeでの配信に取り組んでいますが、どんな時でも事実関係の裏付けが取れた確かな情報を発信していきたいです。受験生の皆さんに私のような生き方を勧めはしませんが(笑)、一つ言えるとすれば、目の前にあることを一つ一つやり遂げていくことが次の道につながる。無駄なことなんて何ひとつない。そう信じて自分のやりたいことをあきらめずに大事にしてください。増田 ユリヤさんジャーナリスト1987年、國學院大學文学部史学科を卒業。高校で世界史を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。教育や移民問題を中心に国内外を幅広く取材し、『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)などでも活躍。現在『大下容子ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)などのレギュラーコメンテーターを務める。主な著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)がある。[特 集]本質を問い直し、未来をひらく、國學院の人々
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