國學院大學 文学部 令和8(2026)年度 入試ガイドブック
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僕が日本文学科を選んだのは、まず、高校時代に和歌の詠み方を習ったときに、たった31文字で表現される世界の奥深さというのを知って、そこから日本文学に惹かれていったというのがあります。國學院大學は万葉集とか古事記の研究が進んでいるということと、源氏物語の研究も最先端をいっているので、和歌を研究するには物凄い環境だなと思って。それで古典やるならここだろうと思い日本文学科に決めました。Q2 では次に、それぞれの学科で学んできたことやその中で関心を持ったテーマ、4年生の人は卒業論文のテーマについても教えてください。五十嵐 今、関心があるのはジェンダー論です。ジェンダー論の授業を受けたときに、僕の知らなかったところで「こういったことが論じられてるんだ」と衝撃を受けたからです。それまで自分が知らなかった「男らしさ」とか「女らしさ」とかいう規範に、どれだけ自分が関わっているのかということと、自分がその「男らしさ」を追求することで、どれだけ差別的な構造に組みしてしまうのかといった考え方が、自分自身の今後の生活にとても大事なると強く感じてこのテーマを選びました。野澤 4年間で学んできたことは、語学が大きくて、やっぱり英語の授業が一番多かったですね。その次に多かったのはフランス語の授業で、これは3年生までずっとやっていました。他に興味があったものとして「英米語概論」という授業があり、母国語というのは自然に喋れるようになっているけどなぜ喋れるようになるのかとか、そういうことを教えていただいたのですが、すごくハードだったけれど面白かったなと思っています。卒論のテーマは「ヨコ文字に囚われたジャパニーズ」っていう、少し尖った題目にしました。私が入学した年はコロナでたくさんの横文字が飛び交っていて、ニュースとかでもソーシャルディスタンスとかクラスターとか、そういうふうな横文字を使っている人が多かったんですね。でも、本当にその意味を理解して使っているのかなと。私も外国語を勉強しているので、英語のこの意味と和製英語で使われてる意味って違うなと思ったりして、「ちょっとかっこつけてんじゃないの」っていう、そういった皮肉も込めた論文を作ろうかなと思って書きました。和製英語はあくまで和製英語であって、英語じゃないのにそういうふうに使われてるのに興味があったということです。牧口 中国文学科は、中国文学を通して様々な視点やジャンルから、いろんなことを学べる学科です。私の卒業論文は、「晏子(あんし)春秋」という書物を中心に書きました。そこに登場する晏子という人は、背が小さくて馬鹿にされがちな人だったんですが、その人の立ち回りとか、まわりの評価が高かったことを授業で知り、面白いなと思ったからです。人は人を、見た目だったり、普段の何気ない様子から「この人はこういう人だ」と決めつけがちな傾向が多いと思うんです。それは結局「軽視」なのではないかと思い、テーマを「晏子を取り巻く『軽視』とその打開について」にしました。上野 私が4年間で学んだことは二つあって、一つ目は、科学的な観点から物ごとを見るということと、二つ目が論理的思考能力と知的探究心です。抽象的で申し訳ないんですが、一つ目に関しては、教科書で学ぶ歴史って通説があってそれを暗記して学ぶことが多いと思うんですけど、大学で学ぶ歴史学というのは正解もないし、いろんな角度から歴史を見つめることが必要になるということを感じたというのがあります。二つ目ですが、史学科は自分でテーマを決め、それに向かってレポートやレジメを1人で作るということが多いんですが、それらを論理的に思考して論理的に文章を組み立てて人に伝えるっていうことが必要になるからです。それに加えて、私の取っていたプログラムが、結構いろんな学科、学部の授業を選べたっていうこともあって、知的探究心がすごく刺激されたなと思ったからです。卒論のテーマは、「アイルランド大飢饉の記憶」です。このテーマにしたのは、ある時に「これいいな」って直感的に思ったからです。「記憶」というのは歴史学でも結構新しい研究分野ですが、大飢饉があった1845年あたりから現在にかけて、どのように人々が想起して記憶して伝えていったかということを具体的に定めていくという内容にしました。高橋 卒論のテーマは「海辺の歌語に持たされた心」です。時代的には、700年ぐらいから源氏物語が書かれた1000年ぐらいの歌を中心に、「海人(あま)」など海辺の歌語がどのように変化したかを比較しました。万葉集では、旅先で良いものを見つけたからお土産に持って帰ろうみたいに、結構プラスな感情で詠まれることが多かったんですね。それが古今集以降になってくると、恋人にふられたとか、そういう感情がどんどん変わっていってマイナスばっかりな内容になるんですが、そういった時代の流れの変化について卒論で書きました。4年間で学んだことは、まず、言葉について研究し、言葉の深さとか二面性というものを学びました。これは、僕の卒論の指導教員の先生に教わった「言葉によって世界を認識している」というソシュールという人の考えなんですが、我々には「肩こり」ってあるんですが、外国人はならないんですね。一同 へぇー。高橋 なぜかというと「肩こり」っていう言葉が外国にはないからです。この辺つらいなっていう認識はあっても、ただつらいだけ。でも、外国人が日本に来て「肩こり」っていう言葉を知ると、そこから「肩こりがひどいな」っていうふうに認識し始めるというのがあります。ですから、言葉の何たるかを知り、言葉の裏の意味とか流れとかっていうものを知ると、いろんなことが見えるようになってくるということです。37

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