1日本文学科代表 土佐 秀里 今からおよそ百五十年前の明治十五年(1882)、東京・飯田橋に「皇典講究所」という研究所が設立されました。これが國學院大學の始まりです。皇典講究所というのは、要するに日本の古典を研究する機関ということです。それによって日本の本来の姿を確認し、これからのよりよい日本の礎にしようということで作られたのが、この研究所でした。つまり日本古典を研究することが國學院設立の主旨であり、國學院の社会的使命であったのです。 わが日本文学科は、その主旨と使命を受け継いできた学科であり、多くの研究者を輩出することで國學院の学問伝統を築き上げ、その名声を高めてきた学科です。しかし伝統というものは、どれほど歴史があり、どれほど立派なものであったとしても、これから後の時代にそれを伝え、受け継ぎ、守る者がいなくなれば、簡単に途絶えてしまうものです。われわれ日本文学科の教員は、その伝統を絶やさぬよう研究を続けていますが、さらにそれを引き継ぐ若い世代が育たなければ、國學院の学問伝統は滅んでしまいます。一人でも多くの若者が日本文学科に入学し、國學院の学問伝統を未来へと引き継いでいってほしいと心から願っています。 どれほど時代や社会が変わったとしても、人の心や正しい生き方は変わるものではありません。「古典」と呼ばれるものもそうで、流行が過ぎ去ってもなお残ったものだけが、古典となるのです。だから新たな古典は現在も次々に生まれています。また民俗学の研究対象が「生活の古典」と言われるように、文字に書かれた古典文学作品だけが古典ではありません。伝統文化はもちろん、何気ない生活の習慣やちょっとした言葉づかい、俗信や迷信、認識や考え方のパターンなど、あらゆるところに「古典」が存在します。國學院の古典研究とは、そのような自由で幅広い思考の産物です。そのことは、國學院の授業をちょっとでも覗いてみたらわかると思います。高校までの「古典」のイメージががらりと変わるような、めくるめく世界がそこにはあるはずです。 江戸時代の日本で、日本古典を研究するために始められた新しい学問が「国学」です。国学は古典を研究するために、古代の信仰や宗教について考え、古代の社会や法律や政治について考え、古代の文字や文法規則について考えました。また文学を理解するためには、何を食べて、何を着て、何時に寝ていたのかといった、当時の生活習慣について知ることが必要であることもわかってきました。さらに古代の政治は宗教と関係が深く、儀式とか儀礼とか祭祀が重要であったこともわかってきました。古典の研究を進めてゆくうちに、国学はとんでもない広がりを持つようになったのです。 日本文学科に「日本文学専攻」「日本語学専攻」「伝承文学専攻」という三つの専攻があるのは、この「国学」の伝統を継承するものです。この三専攻の他にも、書道・図書館学・国語教育などを専門的に学ぶことができるカリキュラムがありますが、すべて学問的なつながりがあり、存在することに意味があります。名前は「日本文学科」ですが、みなさんが漠然と想像するものよりも幅広い学びが展開されています。そしてその幅広さこそが國學院の学問伝統そのものであるということが、入学すれば必ず理解してもらえると思います。 まずはこのガイドブックを開いて、その広がりの一端を覗いてみてください。國學院の日本文学科で何を学ぶか
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