國學院大學文学部 哲学科 ガイドブック 2025年度版
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第112期卒業生 松戸市戸定歴史館学芸員(松戸市職員)幼い頃から、暇さえあれば「人は死んだらどうなるのか」と考えていました。考えては、今ここに在る自分の不確かさに思い至り、吐き気を催すほどの不快感に襲われていました。同時に、そんなことを常日頃から考えている自分を、どうして普通の人間と同じように生きられないのかと嫌悪しておりました。高校で哲学と出会ったことで、救われたような、自分を肯定されたような気持ちになりました。そこには私と同じように答えのない問題を思考し続けた先達がおり、私のこの止まない思考は決して特異なものではないと、似たような人間がいるのだと知ったのです。こうして辿り着いた哲学科は、私と似たような人間の巣窟でした。多様な価値観が尊重され、息がしやすい環境がそこにはありました。私にとって哲学科は、答えのない問題を思考せずにはいられない自分が、存在を肯定されながら生きられる場でした。哲学科で磨いた思考力と、様々な立場からモノを見る多角的な視点は、都政の問題解決を図る上でも大変役立つと感じています。國學院大学の哲学科は、似非謙虚な自信家だった私にとって実に快適な巣でした。「無知の知」という言葉を盾に我が道を行き、エヴァンゲリヲン、太宰治、ドイツ観念論、幻想絵画、渋谷駅のハチ公、創世神話・・・などなど、各々が興味のままに挑んだ卒業論文が懐かしく思い出されます。哲学科で培った思考力と相互理解の精神は、ロストジェネレーションと称された私の世代が見舞われた未曽有の不況・就職難を前に無力だったこともあります。ですが今、私がタカラヅカ的倍率を勝ち抜き学芸員を続けているという現実は、何にでも興味を持つ嗜好性と臨機応変が求められる現場力で得た将来であり、紛れもなく哲学科在籍の成果です。定年までなんとか無事に勤めおおせ晩年まで健康でいることです。ただ何となく、高校の世界史の教員を志望して國學院に入学した私がその後十五年にも わたり、哲学科でサンスクリット語を教えることになるとは、当時の私にとって全く想像もつかない事でした。入学当初はどんな方向で勉強したいか定まっていませんでしたが、広く様々な授業を受講することで、その後の私の人生を決めたといっても過言ではない 授業に出会うことになります。それがサンスクリット語(インドの古典言語)で、初歩からじっくり宮元啓一先生(当時本学教授)に教えていただきました。まさにそれがきっかけでインド哲学を専門とする研究者として研究を続けています。何もわからないところ から育て上げていただいた大学の四年間が研究者としての私の基礎となっています。このように大学にはいろいろな運命の出会いや可能性があるのです。「目立って賢くもないけど、馬鹿ではない(と思う)」Fluctuat nec mergitur.-たゆたえども沈まず-を座右の銘に、今の夢は、偽りなく謙虚に、鈴木 望友小川 滋子興津 香織第129期卒業生 東京都庁第108期卒業生 日本大学准教授

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