國學院大學文学部 哲学科 ガイドブック 2025年度版
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西洋哲学史の勉強をしていると、まず真っ先に「汝自身を知れ」という言葉が登場すると思います。デルポイはアポロン神殿の入り口に刻まれていたとされる古代ギリ シアの格言であり、あのソクラテスの座右の銘とされる言葉です。彼はこれを受けて、「無知の知」に至ったとされます。これは、「自分ってなにも知らないんだなぁ」ではなく「永遠なる全知の神々と比べれば、死すべきものどもであるところの限りある 我々なんてなにも知らない存在だ」といった意味であると、少なくとも私はそう理解しています。このような自覚から始まる深い観想が、自らを知るという姿勢であり、また「どのように生きるべきか」の探究なのだと思います。私は、哲学とは「どのように生きるべきか」を問い続ける学問だと考えています。私もまた、この「どのように生きるべきか」を知るために学問を志しました。私の卒論のテーマは「反出生主義」なのですが、「生まれてきてしまった以上、どう生きるべきか」という探究の根本に、反出生主義という思想があるのだと考えています。國學院大學の哲学科では、このような「どのように生きるべきか」に向き合うための恵まれた環境が整っています。哲学・倫理学から、美学・芸術学からと、幅広い哲学の領域から哲学に触れることができるのも國學院大學哲学科の強みです。人生の根本的な問いに多様なアプローチで向き合うことができると思っています。ソクラテスはデルポイの神のお告げを知の探求の出発点としましたが、國學院大學もまた宗教と哲学とが隣接している大学です。宗教に関する授業も充実しており、宗教学の最前線で哲学を学ぶことができるのも、國學院大學文学部哲学科の強みだと言えるでしょう。長々とした自分語りとなってしまいましたが、私の経験が皆様の選択の一助となれば幸いです。哲学科で皆様とお会いできるのを楽しみにしております。本学では、古典言語としてのギリシア語・ラテン語・サンスクリット語の授業が開講されています。授業では、文法学習や講読のほか、関連する古典作品の背景、 文化的伝統を知ることができます。古典を学ぶ機会は授業だけではなく、研究室において開かれている読書会があります。私は、古典ギリシア語の読書会に参加し、プラトンの『メノン』『ソクラテスの弁明』を読んでいます。3年生の私は本学において、古典とともに学生生活を送っています。しかし、入学当初から、ここまで強い好奇心を古典に対して持っていたわけではありませんでした。私は自身の興味関心が多岐に渡っていて、古典言語はそのなかのうちのひとつに過ぎなかったのですが、どういうわけかそれに取りつかれてしまったのです。目的地を決めずに、朝の陽射しが降り注ぐ青空のもと、知らないどこかへと航海しました。航海の途中で見つけた岸辺に立ち寄り、探索してみました。すると、黄金の輝きを讃えることが出来る、そのような何かを発見できました。私にとっては、古典こそが未知なる黄金の果実でした。それは私の好奇心を刺激し、私を引きつけ、そして離すことはありませんでした。とりわけ、古典作品における人々の語りの中に身を投じているかのような感覚は、それを原文で読むという経験を通して得ら れる、稀有なものであると思います。だからこそ、今もなお、私は古典を続けて、古典に夢を見ているのでしょう。古典が私の人生を転換させた、といっても過言ではなさそうです。以上が私の事例です。未知に歩み寄ることで、思いもよらぬ輝かしい発見があるかもしれません。出発方法がわからなくても安心してください。ここには仲間がいます。櫻井 鳳孔斗大竹 夏愛哲学科3年(哲学・倫理学コース)哲学科3年(美学・芸術学コース)

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