TakeshKanasugii 気候変動や地震などの自然災害、資本主義のグローバル化による貧富の格差拡大、ポピュリズムの台頭による民主主義の揺らぎ、AI技術の発達と労働市場へのその影響、そして感染症の大流行など、私たちは先行きが不透明な不安な時代に生きていると言えるでしょう。そのような時代の中で、皆さんは、なぜ哲学に興味を持ったのでしょうか?まさに先行きが不透明な時代を生きるための拠り所となる何かを求めて?ものごとの根底にある真理や本質を教えてくれそうな知的な雰囲気に憧れて?あるいは、哲学書や哲学的な小説・映画などに出会い、その面白さに魅了されて?それとも、日々の生活の中で生じた切実な問題に対する答えを求めて?哲学をこれから学ぼうとしている皆さんのほとんどは、哲学という学問が本当のところどのようなものであるかを理解していないでしょう。しかし、上に書いたようなきっかけで哲学に関心を持った人はいずれも、哲学という学問の一つの側面を捉えていると言えるでしょう。 哲学では、「私」とは何か、「善悪」とは何か、「美しさ」とは何か、私たちはどう生きるべきなのか、「世界」とは何か、…というように、あまりに身近であったり当たり前であったりするために普段は振り返って考えることのない根本的なものごとについて考えます。これらの問いは、人間が自分自身やものごとについて振り返って考える力(理性)を持つ知的な生物である限り、誰もが一度は頭に思い浮かべるものでしょう。そして、哲学をより深く体験することを通して、今まで思ってもみなかった「ものごとの見方・考え方」に出会ったときには、「そうか!」という得も言われぬ知的興奮を感じることでしょう。このような純粋に知的な喜びを味わうことができるという点に哲学の面白さはあります。 しかし、哲学は単なる知的ゲームではありません。そこに哲学の難しさと苦しさがあります。上に挙げたような問いについて自分の頭だけで考えようとしても、すぐに行き詰まってしまいます。自分なりの考えを組み立てていくには、同じ問いに取り組んできた哲学者たちのテキストから倣うべき考え方を学んだり、仲間と議論することで自分の考えを磨き上げていったりする訓練が必要です。この訓練は決して簡単なものではなく、ときに苦しいものです。そのような訓練を粘り強く続けるには、上に挙げたような問いについて考えることが、何らかの形で切実なものとして自分の生に結びつき、自分の一部になっている必要があるのかもしれません。 このように書いていると、「哲学って大変そうだな…」という声が聞こえてきそうですね。しかし、以上のような難しさや苦しさを少しでも乗り越えた先に、哲学の本当の意味での面白さがあります。そして、その面白さを少しでも味わえるようになったときには、ものごとや問題の本質を分析する力や、考えをまとめる力、他者の視点に立って考える力など、生きていく上で(そして、さまざまな仕事をしていく上でも)重要な能力が向上し、成長した自分に出会えるはずです。 我が哲学科には、皆さんのさまざまな知的関心に応えるべく、西洋・東洋・日本の哲学、倫理学、美学、芸術学・美術史等関連分野の多彩で魅力的な教育プログラムが用意されています。皆さんも哲学科で自ら「哲学すること」の面白さを発見して下さい。哲学科 学科代表金杉 武司
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