國學院大學 観光まちづくり学部 令和7(2025)年度 ガイドブック
9/56

中庭から若木21を望む(平成14年)新石川校舎(昭和60年)9大学の紹介した新石川校舎が始まりです。その後、1992(平成4)年から授業が始まり、2009(平成21)年には人間開発学部が開設されました。そして、2022(令和4)年、国内の大学ではほぼ唯一となる観光まちづくり学部が開設されました。 たまプラーザキャンパスは、高尾山麓から連なる多摩丘陵の一角にあります。キャンパス内も教育棟のある高台、球技場などのある窪地からなり、台地や丘陵が連なる横浜ならではの地形を実感できます。キャンパスには桜の古木も多く、桜の名所にもなっています。 また、東急田園都市線たまプラーザ駅より徒歩わずか5分という好立地にあるいっぽうで、周囲は閑静な住宅地となっており、キャンパスも緑豊かで穏やかな空気に満ちています。 この至便かつ落ち着いた雰囲気は、観光まちづくり学部のキャンパスにふさわしいものといえましょう。 キャンパスのある新石川は、東急の土地区画整理事業で1979(昭和54)年、元石川から切り離されて誕生した地名です。この元石川には、古代・平安時代には「石川牧」と称する牧場が設けられており、毎年10頭の馬が天皇に献上されていたとされています。中世・室町時代は、「石河郷」と呼ばれ、いくつかの寺院の寺領であったようです。戦国時代の北条領を経て、近世・江戸時代には「石川村」と呼ばれる農村となり、米や麦などを作っていました。明治時代に入ると、稲作・畑作に副業として養蚕が加わり、さらに大正時代からは東京や横浜などの都市部に出荷する野菜の栽培も盛んになりました。 元石川の地名は、1939(昭和14)年に横浜市に編入される際、同じ市内の石川町と区別するため付けられました。「石川」を残すことを住民が強く希望したといわれています。その意味では、たまプラーザキャンパスは「石川キャンパス」ともいっていいかもしれません。 たまプラーザキャンパスは、1985(昭和60)年に八王子分校舎から移転たまプラーザキャンパスの歴史と環境新石川とは

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る