國學院大學 入学案内 2026
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(同年、私立大学として最初に認可されたのは國學院の他に慶應義塾、早稲田、明治、中央、日本、法政、同志社の7大学)皇典講究所創立(現・千代田区飯田橋)皇典講究所に國學院を設置國學院、専門学校令により専門学校に昇格私立國學院大學と改称國學院大學と改称大学令により大学に昇格渋谷氷川裏御料地に移転図書館開館式神殿鎮座皇典講究所の解散、財団法人國學院大學の設立新制文学部を開設、國學院高等学校を開校政治学部を開設(翌1950年、政経学部に拡充)学校法人國學院大學に改組大学院を開設久我山学園と合併(現・國學院大學久我山中学高等学校)國學院大學附属幼稚園を開園日本文化研究所を設立沿革時代を切り拓いてきた先人たち140余年にわたって連綿と続く國學院大學の歴史。その背景には、常に社会に必要とされる学びを追求し、未来を見据える姿勢がありました。そして創立150周年に向けて更なる飛躍を目指し、私たちは新たな一歩を踏み出します。芳賀矢一金田一京助折口信夫「近代国文学の父」とうたわれる文学者アイヌ語研究で知られる国語学者日本文学や古典芸能を民俗学的に研究学問の系譜国学にドイツ文献学の方法を取り入れ、近代国文学研究の基礎を築いた。学長就任後、大学令による大学への昇格や、飯田町(飯田橋)から現在地となる渋谷への校地移転を果たした國學院中興の祖。アイヌ語研究の先駆者。樺太・北海道で現地調査を行い、アイヌ民族の言語・文学・民俗を体系的に研究して、昭和7年に『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』により学士院恩賜賞を受賞した。國學院大學在学中は三矢重松に師事。その後、柳田國男の高弟となって民俗学を志し、その学風は国学に民俗学の研究法を合わせて、古代から現代に至る日本人の心の伝承を捉えようとするものであった。國學院大學の現在地―変わらない源流と未来への展望―□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□1867-19271882-19711887-1953023

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