台湾出兵後の清国との外交交渉を担った大久保利通の事務スタッフの一員となり、その重 要局面で意見書を提出したことで、大久保の信任を得ることになった。その後、政府の主 要人物たちに自らの主張を訴え、意見書や勅語案の起草を任されることが多くなり、文字 通り「法制官僚」としての地位を確実な者としていった。その意味で、明治国家という枠 組みは井上が作ったと言っても過言ではない。「学問」とそこから得られた「知識」とで国家や社会に貢献した井上の生き方を通して、大学で学ぶ意義についてしっかりと考える機会にして欲しい。 7
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