熊本大学の教養教育 肥後熊本学
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はじめに 「草枕」復活は可能か? 旧制中等学校の国語読本中、漱石作品は305種、878冊に収録されているが、現在定番化している「坊っちゃん」は1回しか出て来ず、「こころ」に至っては、教材化されるのは戦後になってからである。それに比して、熊本ゆかりの「草枕」(初出1906年)であるが、なんと407回もの数を誇っている1。かつて「草枕」は定番教材だったのである。 それに引き換え、現在の「草枕」は、その難解な印象も手伝ってか、どうにも旗色が悪い。とっつきにくい「草枕」のイメージを払拭するにはどうしたらよいのだろうか。そのような試みへのヒントとして、世界的なアニメーション映画監督であり、広い世代から絶大な支持を得ている宮崎駿の存在がある。 1 宮崎駿と「草枕」 宮崎駿は、2010年11月10日にスタジオジブリ社員旅行で玉名市天水町の小天を訪れた。彼は後に、このときの小天訪問に触れながら、「草枕」について語っている。 ぼく、『草枕』が大好きで、飛行機に乗らなきゃいけないときは必ずあれを持っていくんです。どこからでも読めるところも好きなんです。終わりまで行ったら、また適当なところを開いて読んでりゃいい。ぼくはほんとうに、『草枕』ばかり読んでいる人間かもしれません(笑)。専門家からの評価が高い『それから』以降はどうも苦手です。漱石のいい読者ではないんですけれど2。 注目すべきなのは、宮崎が「専門家」や世間の一般的な評価に抗しながら「草枕」への偏愛を表明しているということだ。彼の漱石への関心、特に「草枕」への高い評価は、いつから、そしてなぜ始まったのだろうか。 時期に関する解答は、『崖の上のポニョ』公式ページにある。 「ハウルの動く城」の制作後に宮崎監督は、夏目漱石全集を読みふけりました。 (中略) 初期の作品、『草枕』はロンドン留学時代に目にしたであろうテート・ブリテンに所蔵されているミレイの“オフィーリア”がヒロインに重ねられていて、話中にオフィーリアについての記述があることは良く知られています。 この魔性の絵に興味をもった宮崎監督は、実際に訪英し、この絵を目の当たりにします。 これに衝撃を受けた宮崎監督は、「精度を上げた爛熟から素朴さへ舵を切りたい」との決断をしたといいます。 全ては、夏目漱石から始まったのです3。 『ハウルの動く城』の公開は2004年、『崖の上のポニョ』の公開は2008年である。その間の『ポニョ』制作に入る前の充電期間に宮崎駿は「夏目漱石全集を読みふけ」ったのだ。その影響は、アニメーション映画のデザインの根本に関わる重大なものである。『ポニョ』ではコンピュータ・グラフィックスを使用しないという思い切った決断がなされたが、それは宮崎駿が生で観た「ミレイの“オフィーリア”」の衝撃の余波であり、彼がその絵に興味を持ったきっかけが「草枕」なのである。「草枕」復活プロジェクト ──熊本・漱石・宮崎駿── 跡上 史郎

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