熊本大学の教養教育 肥後熊本学
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それにしても、宮崎駿が『ハウル』の後、『ポニョ』の前というタイミングで「夏目漱石全集を読みふけ」ったのは偶然なのだろうか。おそらく、彼がそれほどまでに漱石にのめり込むには、それなりの準備過程が必要だったのではないだろうか。 2 対立をめぐるパターン 宮崎駿が監督を務めた劇場用アニメーション作品 11 本を年代順に並べてみると以下のようになる。 1.『ルパン三世 カリオストロの城』’792.『風の谷のナウシカ』’843.『天空の城ラピュタ』’864.『となりのトトロ』’885.『魔女の宅急便』’896.『紅の豚』’927.『もののけ姫』’978.『千と千尋の神隠し』’019.『ハウルの動く城』’0410.『崖の上のポニョ』’0811.『風立ちぬ』’13このうち、最初のスタジオジブリ作品である『天空の城ラピュタ』に注目してみよう(スタジオジブリの設立は1985年)。『ラピュタ』は、悪い魔王にさらわれた姫を主人公とその仲間たちが救出に向かい、魔王を打倒して姫を救出しハッピーエンドに終わるという作品で、構造的には初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』と同じである。悪を倒せば問題は解決するというお約束通りの展開だ。 一方で、最も興行成績が良く、世界的な評価も高い『千と千尋の神隠し』はどうだろうか。この作品においては、善悪が不明であり、話がわかりにくい。主人公・千尋から名前を奪う湯婆婆はその一方で子煩悩で優しい母親であり、敵対関係にある銭婆は恐ろしい敵かと思いきやまったく話のわかる善人である。おどおどしているように見えながら突然凶暴化し暴れまわるカオナシは、ハリウッド映画ならば銃で撃ち殺されるべき怪物であるが、そんなことはなく、許されて大人しく千尋とともに電車に乗って旅に出る。この映画では、私たち観客は、一体どこに連れていかれるのかさっぱり予想がつかない。 大まかに見るならば、宮崎駿の歩みは、パターン通りの冒険譚から、パターンを外れた善悪不明の不定形作品への変貌の旅であると言える。このような不定形の物語の追求と、その深化の実績を積み重ねたところで、宮崎駿は夏目漱石に出会い、その中でも特に「草枕」に傾倒していくことになるのである。 3 なぜ、世界の宮崎駿になれたのか? 宮崎駿の出自は、主にディズニーを範とした正統的なアニメーション制作を行うことから出発した東映動画にある。ここに宮崎駿の理想があったが、それはパターン通りの物語の枠の中から一歩も出ないという限界も持っていた。 先に見た『天空の城ラピュタ』は東映動画的な作品であったが、その興行的失敗の次に制作されたのが『となりのトトロ』である。この作品にはすでに日本独自のアニメーションを制作するという宮崎駿の強い意志の発露が見られるだろう。それは雑草の種類を描き分けるほど丁寧に描写された日本の自然の中の里山のオバケの話である。底流に流れていたのは、日本人である自分が日本人としての根っこを離れずにアニメーションを制作するにはどうしたよいのかという、宮崎駿の強烈な問題意識であった。

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