熊本大学の教養教育 肥後熊本学
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このような流れの中に、『千と千尋の神隠し』の世界的な大成功を位置づけることができるはずである。アニメーションの本場本流である西洋の表現者たちにとって、宮崎アニメは本格本流が備えているべき高いクオリティをベースにしつつも、日本的・東洋的なもの、彼らを魅惑する異質なもの、西洋的な枠組みから彼らを連れ出し、異世界へと誘うものに満ちていたのである。 4 世界の宮崎駿が認めた「草枕」の世界的な価値 このような文脈を踏まえてみるならば、宮崎駿が漱石作品の中でも特に「草枕」に傾倒していった理由がほの見えてくるだろう。 宮崎駿は、先に見たように「草枕」について「どこからでも読めるところも好きなんです。終わりまで行ったら、また適当なところを開いて読んでりゃいい」と言っていたが、これは「草枕」九における画工と那美のやりとり 「ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」 「それで面白いんですか」 「それが面白いんです」 「なぜ?」 「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」4 を実践したものであろう。 「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」という那美の感覚の方が一般的であるが、それもそのはずで、小説を小説たらしめているものが「筋」、すなわちプロットなのである。昔話にはプロットがなく、近代小説にはプロットがあり、それが昔話と近代小説を分け隔てるものであり、プロットとは因果関係のことであると明快に喝破してみせたのは、漱石よりも少し後の時代のE・M・フォースター5であった。 漱石は、自作解説「余が『草枕』」において「草枕」には「プロツトも無ければ事件の発展もない」6と言っている。西洋近代が生み出した最先端の芸術である小説の本体とも言える「プロット」を放棄しようというのだから、漱石の西洋に対する反抗心は並々ならぬものである。 そのような組立ならぬ組立を持った「草枕」を漱石は「俳句的小説」7と呼んだ。これはもちろんプロットの側面から捉えられねばならない。例えば、正岡子規の有名な俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の元となった漱石の俳句として、「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」がある。この「鐘つけば」の部分を隠して、どのような言葉が入るか学生に予想させたところ、「◯◯◯◯◯」という意味の言葉が入るという解答があった。これは小説的な発想、すなわちプロットの本質である因果関係によって事態を説明しようとする慣習に則ったものである。つまり、〈◯◯◯◯◯という原因〉によって、〈銀杏が散るという結果〉がもたらされるということになる。しかし、そのような発想は、俳句においては「説明」に堕しているということで、嫌われるものだ。「鐘をつくこと」と「銀杏が散ること」の間には因果関係はないのであるが、それが一句の中に組み合わされるのが俳句的発想なのである。 「草枕」は、基盤は小説に置きつつも、漱石の日本人としての自覚から俳句的要素が付け加えられ、「小説界に於ける新らしい運動が、日本から起つたといへる」8という野心的な試みとして、世界の最先端を目指している。だからこそ宮崎駿は、「草枕」の漱石にこそ、自分の歩みの真正なる先達の姿を認めたのだ。 おわりに 宮崎アニメを観るように「草枕」を読む

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