岡田 行雄 1.ハンセン病とは? ハンセン病とは、伝染により発症する皮膚や感覚の麻痺をもたらす疾病であるが、それ自体で直ちに致死に至るものではない。但し、進行すると、顔面や四肢に変形を来すために、その外見から、古来より「癩病」と言われ、忌み嫌われ、天から罰せられた天刑病、あるいは前世宿縁の業病であると考えられてきた(大谷 1996:11)。 しかし、1873 年にノルウェーのハンセン医師が、ハンセン病患者の病巣部から、らい菌を発見したことにより、ハンセン病は、らい菌により感染し発症する伝染病であり、遺伝性疾患ではないことが明らかとなった。また、伝染病と言っても、その伝染・発病力は極めて弱く、普通の衛生環境で暮らす成人で伝染発病するおそれは全くない。このことは、ハンセン病療養所に従事した者からハンセン病が発病した事実がないことから明らかである。加えて、発病したとしても、1943 年に特効薬のプロミンが発見されて以来、完治する病気となった。現在の日本では、公衆衛生上はとっくに終息した病(大谷 1996:17)と言って良いものである。 2.法律による差別 このように感染力が弱く、かつ致死的でない伝染病であったにもかかわらず、日本では、光田健輔らによる「恐るべき伝染病」との非科学的見解に基づき 1907 年に制定された「癩予防ニ関スル件」を皮切りに、ハンセン病患者とされた者を法律によって強制的に隔離する政策が採られるようになった(内田 2006:179)。そして、患者を収容する国立療養所の所長に、患者に対する懲戒検束権限を認めるなど、それは抑圧性を強めていき、療養所の医療等に不服を申し立てるなどした患者が草津の栗生楽泉園の特別病室(「重監房」)に収容され、冬季にはマイナス 17 度にまで気温が下がる極寒のため患者が死亡することもあった(内田 2006:38)。また、入所させられた患者は、名ばかりの治療に加えて、法に基づかずに、園名を名乗ることの他、作業、消毒などの様々な強制がなされた上に、断種・堕胎手術さえも強行された(内田 2006:191)。 戦後、日本国憲法が制定され、基本的人権の尊重が憲法の原則に挙げられたにもかかわらず、優生保護法によって、ハンセン病患者に対する断種・不妊手術の強制は正当化された上(内田 2006:190)、それまで患者を隔離する根拠となった立法を合憲とする前提に立って、患者達の反対運動を押さえつけ、1953 年に、それまでの「癩予防法」を改正する「らい予防法」が立法された。これは、患者を「公共の福祉を図る」ために徹底して療養所に収「ハンセン病差別とその克服に向けて」
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