熊本大学の教養教育 肥後熊本学
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(3)様々な差別被害の克服に向けた取組み(2006)『差別とハンセン病』平凡社新書 日本国憲法に照らして許されない差別によって生じた被害は、もちろん回復されねばならない。しかし、ハンセン病差別の被害を受けた方々の多くは、既にお亡くなりになっている。そして、そうした被害者は、強制断種・堕胎によって、子どもを持つことさえ許されなかったために、生じた被害の埋め合わせとなる損害賠償を受け取るべき子孫もいないという状況にある。だからといって、こうした差別による被害の回復はなされないままでよいのであろうか?仮に、このような場合に被害の回復がなされないでよいというのであれば、被害への損害賠償を行わないまま、時間が経過するのを待てばよいということになろう。 それは許されないというのであれば、長い時間をかけて生じた差別による被害の回復に向けてどのような取り組みが求められるのかを検討することこそ、差別による被害を二度と生じさせないためにも重要な課題と言える。 差別が引き起こした被害を考えるとき、ハンセン病差別以外にも、様々な差別が、未だに世界中に残存していることにも思いを致す必要がある。 私達は、たまたま熊本にいるが故に、ハンセン病差別やそれが引き起こした様々な問題について学ぶことができる。しかし、この学びを、ハンセン病差別問題以外の様々な差別問題の克服に活かしていくことも、ハンセン病差別問題を学んだ者の課題と言えよう。 例えば、差別により被害を与えた者や組織に対してはどのような措置が採られるべきであろうか?単に金銭による損害賠償を課したり、刑罰を科したりすることで足りるのであろうか? 差別被害の救済に関しては、1993 年のいわゆるパリ原則によれば、「調停により、又は… 拘束力のある決定によって、…友好的な解決を追求すること」が求められている。また、差別の被害者が真に望んでいることは真摯な謝罪と再発防止とも言われる。また、差別をした者に制裁を加えるための手続には、厳格さが不可欠となるが故に、差別を受けた者の救済に時間がかかることになる。そうだとすれば、真の意味で差別問題を克服するには何が必要なのであろうか?少なくとも、損害賠償や刑罰で終わるわけにはいかないはずである。私達には、差別問題の克服に向けて必要な取り組みが何かを自ら考え、差別の克服に向けて実際に取り組むことが求められているのである。 参考文献 岩下芳乃(2015)「菊池事件について」法学セミナー721 号内田博文(2006)『ハンセン病検証会議の記録』明石書店大谷藤郎(1996)『らい予防法廃止の歴史』勁草書房畑谷史代無らい県運動研究会(2014)『ハンセン病絶対隔離政策と日本社会』六花出版

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